トロピカーナ設立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/21 22:54 UTC 版)
「アンソニー・ロッシ」の記事における「トロピカーナ設立」の解説
1957年フルーツ・インダストリーズ社は商品名である「トロピカーナ」に社名を変更する。トロピカーナの人気が高まるにつれこの年から数百万ガロンの新鮮なオレンジジュースをニューヨークへ輸送するための船舶を購入し「SSトロピカーナ」と命名を行う。この4年後、フロリダ州の果物農家は深刻な冷害に見舞われたことで生産量が急減し、ロッシは新たな供給先としてメキシコに目を向けるが、検疫によりオレンジを国内に持ち込むことが出来ないことが判明している。そこで、ロッシはメキシコ国内に処理プラントを建設し、米国の法に則った処理を行い出荷することでこれを回避した。 企業は順調に成長し需要が伸びたことで1970年、トロピカーナ・ジューストレインを開発。この貨物列車により毎週100万ガロンのオレンジジュースをフロリダからニュージャージー州への輸送を開始している。 ロッシはトロピカーナ製品が全米で著名になると、学校給食に新鮮なオレンジジュースを提供すべきとの提案を行う。トロピカーナはフレッシュジュースの製造企業として世界60ヵ国以上で愛飲されるグローバル企業となり、ロッシにはフロリダの柑橘類の殿堂(The Florida Citrus Hall of Fame)からフロリダのチルドジュースの父(The Father of Chilled Juice in Florida)の称号を与えられ殿堂入りを果たし、1987年にはフロリダ農業の殿堂入りも果たしている。 1978年8月、会長であったロッシはトロピカーナ社をベアトリス社に対し5億ドルで売却し事業を引退。その後、この売却益を用いて世界各地でキリスト教に関する宣教師村の建設や視覚障害者や受刑者に対する聖書の配布など慈善事業を開始している。 1993年1月24日の日曜日、フロリダ州ブレイデイトンで逝去。享年92歳没。
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