トム・トム計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/07 23:39 UTC 版)
並行してトム・トムと呼ばれる類似の構成の計画が、初期のFICON試験で使用されたJRB-36F(49-2707)と2機のRF-84F (シリアルナンバー:51-1848と51-1849)を使用して進められていた。これらの機体は関節アームとクランプを介して翼端同士で繋げられていた。コンヴェア社パイロットのドク・ウィンチェル(Doc Witchell)、ベリル・エリクソン(Beryl Erickson)、レイモンド・フィッツジェラルド(Raymond Fitzgerald)により1956年に数度の結合を成功させたが、乱気流と渦流は大きな問題点として表れ続けていた。1956年9月23日にBeryl Erickson操縦のRF-84F 51-1849が、まさにJRB-36Fの右翼先端から引き剥がされた[要ページ番号]。全機が無事着陸したが、このコンセプトは非常に危険だと判断された。その当時空中給油分野の開発が進み、これが戦闘機の航続距離を延伸させるには遥かに安全な方法になると確約されたためトム・トムはキャンセルされた。
※この「トム・トム計画」の解説は、「FICON計画」の解説の一部です。
「トム・トム計画」を含む「FICON計画」の記事については、「FICON計画」の概要を参照ください。
- トム・トム計画のページへのリンク