トミーリーとは? わかりやすく解説

トミーリー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/16 14:54 UTC 版)

トミーリー
欧字表記 Tomy Lee
品種 サラブレッド
性別
毛色 栗毛
生誕 1956年
死没 1971年
Tudor Minstrel
Auld Aliance
母の父 Brantome
生国 イギリス
生産者 D. H. Wills
馬主 Mr. & Mrs. Fred Turner Jr.
調教師 Frank E. Childs(アメリカ
競走成績
生涯成績 31戦14勝
獲得賞金 405,014ドル
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トミーリーTomy Lee1956年 - 1971年)は、イギリス生産のサラブレッド競走馬種牡馬アメリカ合衆国で競走馬となり、1959年ケンタッキーダービーなどに優勝した。

経歴

出生、幼駒時代

1956年にイギリスで生産された競走馬で、体高は16ハンド(約162.56センチメートル)と大柄で、体重も1000ポンド強あったという[r 1]。馬体は見栄え良く、また4本の脚すべてに白徴を持っていた[r 2]

馬主となるフレッド・ターナー・ジュニアはテキサス州の出身で、本来はタルヤーの産駒を求めてイギリスに出向き、そこで25000ドルで目的のものを購入した。このとき、馬を1頭だけで輸送するのは馬にとって辛いものであるため、帯同馬として6762ドルで購入された幼駒がトミーリーであった[r 3][1]。馬名は本来「Tommy Lee」と名付けられる予定であったが、ありふれた名前ゆえに既に使われている可能性を考えて、mをひとつ抜いて登録することにした[r 4]

若駒時代

デビューは2歳時からで、カリフォルニア州でハギンステークスやC・S・ハワードステークス、スターレットステークスにデルマーフューチュリティを含む6競走で連勝を挙げる活躍を繰り広げた。特にハギンステークスは8馬身差の圧勝で、またデルマーフューチュリティではロイヤルオービットを相手に3馬身差で勝っている。その後東海岸に遠征し、シャンペンステークスとガーデンステートステークスに出走しているが、ともにファーストランディングの2着に敗れている。

3歳時はやはりカリフォルニアからの始動であったが、年明け初戦のサンヴィンセントステークスでは2着に、続くサンフェリペハンデキャップでも2着に敗れている。しかし続くキーンランド競馬場での7ハロン(約1408メートル)の一般戦ではトラックレコードでの勝利を挙げ[r 5]、さらに翌戦のブルーグラスステークスでも優勝した。

1959年のケンタッキーダービー当日は72951人の観客が詰めかけた[r 6]。話題馬シルバースプーンソードダンサーらも出走するなか、1番人気はファーストランディングが推され、ウィリー・シューメーカーを背に出走したトミーリーはそれに次いで単勝4.7倍の2番人気に支持された。トミーリーはスタートから先行するトロイラスという馬の後ろ2番手につけて進み、その馬が力尽きて後退すると先頭に立った。コーナーに差しかかるところでソードダンサーが詰め寄り、残り2ハロンというところで並びかけられた際には鞍上のシューメーカーも諦めかけたが、トミーリーは再び懸命に走りだし、2頭の激しい攻防が繰り広げられた[r 7]。2頭はほぼ同時にゴールし、18分ほどの審議と写真判定の結果、トミーリーが勝利をもぎ取った。シューメーカーは後に、残り1ハロンというところで2頭は接触したが、このときトミーリーの手前が変わり、より走りやすくなったことが勝因のひとつだと語っている[r 8]

ケンタッキーダービー後はクラシック路線に残らず、西海岸に戻って6月のハリウッドパーク競馬場で行われるシネマハンデキャップへと登録された。しかし鞍上を務めていたシューメーカーが、ターナーの騎乗依頼に応じなかった[2]こともあり、前走で破ったシルバースプーンに敗れて着外へと沈んだ。

ターナーはシューメーカーと彼のエージェントの対応に憤り、抗議の意味を含めてトミーリーを半年の休養にあてた[r 9]。休養明けは翌年まであと2日まで迫った年の瀬で、ジョニー・ロングデンを鞍上にして6ハロン(約1207メートル)の一般戦で勝ちを挙げた。

その後

4歳になっても競走馬として活動したが、トミーリーは3歳の頃までのような走りを見せられなかった。この年4戦して2勝を挙げるが、年明けのサンカルロスハンデキャップやサンタアニタマーチュリティといったステークス競走では着外に沈んでおり、シーズン前半で引退して種牡馬となった。

ケンタッキー州の牧場で種牡馬入りしたものの、受胎率が非常に悪く、早くも種牡馬失格の扱いを受けた[r 10][3]。このため6歳になって競走馬に復帰することになり、復帰から7歳での再引退までに14戦を経験、ステークス競走勝ちこそ無いものの、4勝を挙げた。

引退後は牧場で過ごし、1971年に死亡した。遺骸はレキシントンのピラースタッドに埋葬されている。

評価

主な勝鞍

※当時はグレード制未導入

1958年(2歳) 8戦6勝
ハギンステークス、C・S・ハワードステークス、スターレットステークス、デルマーフューチュリティ
2着 - シャンペンステークス、ガーデンステートステークス
1959年(3歳) 7戦4勝
ケンタッキーダービーブルーグラスステークス
2着 - サンヴィンセントステークス、サンフェリペハンデキャップ
1960年(4歳) 4戦2勝
1962年(6歳) 1戦1勝
1963年(7歳) 13戦3勝

血統表

トミーリー血統(オーエンテューダー系(ハイペリオン系) / Hyperion 3x3=25.00%、 Swynford 4x4=12.50%) (血統表の出典)

Tudor Minstrel
1944 青鹿毛 イギリス
父の父
Owen Tudor
1938 青鹿毛 イギリス
Hyperion Gainsborough
Selene
Mary Tudor Pharos
Anna Bolena
父の母
Sansonnet
1933 鹿毛 イギリス
Sansovino Swynford
Gondolette
Lady Juror Son-in-law
Lady Josephine

Auld Alliance
1948 栗毛
Brantome
1931 鹿毛 フランス
Blandford Swynford
Blanche
Vitamine Clarissimus
Viridiflora
母の母
Iona
1943 栗毛 イギリス
Hyperion Gainsborough
Selene
Jiffy Hurry On
Juniata F-No.1-n


脚注

備考

  1. ^ 本来のお目当てであったタルヤー産駒はトゥレッグと名付けられ、実際に競走馬となっているが、2歳時は怪我により休養、3歳時には屈腱炎で引退と、成績を残さなかった。
  2. ^ この依頼を断って、シューメーカーはソードダンサーでベルモントステークスを制している。
  3. ^ 一応産駒は出しているものの、目立つ成績を挙げた馬はいなかった。

出典

  1. ^ Robertson - p.538
  2. ^ Robertson - p.538
  3. ^ Robertson - p.538
  4. ^ Robertson - p.538
  5. ^ Robertson - p.539
  6. ^ ボウラス - p.56
  7. ^ ボウラス - p.56
  8. ^ ボウラス - p.58
  9. ^ Robertson - p.539
  10. ^ Robertson - p.539

参考文献

  • The History of Thoroughbred Racing in America [p.531-539] (1964 著者: William H. P. Robertson 出版: Bonanza Books ASIN B000B8NBV6)
  • ケンタッキー・ダービー・ストーリーズ [p.56-58] (1996 原著: ジム・ボウラス 翻訳: 桧山三郎 出版: 荒地出版社 ISBN 4-7521-0098-3

外部リンク


トミー・リー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/10 01:18 UTC 版)

トミー・リー
Tommy Lee
トミー・リー(2012年)
基本情報
出生名 Thomas Lee Bass
生誕 (1962-10-03) 1962年10月3日(62歳)
ギリシャ アテネ
出身地 アメリカ合衆国 カリフォルニア州
ジャンル ロックハードロックグラム・メタル
職業 ミュージシャン、ソングライター
担当楽器 ドラムボーカルピアノギター
活動期間 1979年 -
レーベル Leathür、エレクトラ
共同作業者 モトリー・クルー
メソッズ・オブ・メイヘム
ロック・スター・スーパーノヴァ
公式サイト www.tommylee.tv

トミー・リーTommy Lee1962年10月3日 - )は、モトリー・クルーのオリジナル・ラインナップのドラマー。一時脱退するが、ラッパー、モデル、大学生を経て、2005年のワールド・ツアーより復帰する。本名トーマス・リー・バスThomas Lee Bass)。身長188cm。

略歴

ギリシャアテネで、元ミス・ギリシャであった母と、ウェールズ系のアメリカの軍人デヴィッド・リー・トーマスの間に生まれる[1]。トミーが生まれた後すぐに、カリフォルニア州へ移住。4歳の時に初めてドラムに触れる。妹は母の祖国の首都からとった名前=アテネで、兄と同じくドラマーである(ジェイムズ・コタックの妻)。

父親がマーチング・バンドでドラムをプレイしていたこともあり、ティーンエージャーの時にはドラムをプレイしていた。そのころはキッスディープ・パープルレッド・ツェッペリンジューダス・プリースト等を好んで聴いていた。

サウスヒルズ高校から、ロイヤルオーク高校へ転校し、その頃、マーチング・バンドに加入して演奏していたが、年長になった頃、音楽の道を目指し高校を中退する。

1970年代後半、トミーは「Suite 19」というバンドで名前を売り始める。当初、バンドでは早弾きギタリストのグレッグ・レオンと一緒だった。サンセット大通りやロサンゼルスなどでプレイを続け、その頃、メタルバンドで人気を博していたニッキー・シックスと出会う。ニッキーは、ドラマティックなメタルバンドを作りたいと考えていたらしく、その頃のトミーのプレイを気に入り、ニッキー、トミー、グレッグの3人でジャムを始めるが、グレッグには続ける気はなかった。

その頃、ニッキーがトミーに「T-Bone」という新しい名前を付け、それを気に入りしばらく使用していた。そしてミック・マーズは『リサイクラー』という求人広告誌に「音がでかくて、野蛮で、攻撃的なギタリスト、います」と自分で自分を宣伝し、その広告を見たニッキーがミックに電話してオーディションをし、ギタリストとなる。ミックは、トミーの高校時代の友人で、ロック・キャンディで活躍していたヴィンス・ニールをボーカルに推薦し、結果ヴィンスが加入し、モトリー・クルーが結成されることになる。

2005年には自叙伝Tommyland[2]を発表している。

趣味は盆栽[3][4]

プレイスタイル

パワフルなプレイスタイルで、その後のドラマーに非常に大きい影響を与えることになるが、最も印象的とされるのが、アルバム『ガールズ、ガールズ、ガールズ』の「Wild Side」での、ドラムセットごと回転するパフォーマンスだった。最近では、スリップノットのジョーイ・ジョーディソンが、日本ではLUNA SEA真矢が、同じパフォーマンスを披露した。

使用機材

1981年のモトリー・クルーでのデビューから1989年中頃まではパール社製のドラムに、パイステの2002シリーズシンバルを組み合わせていた。

デビューからアルバム『ガールズ、ガールズ、ガールズ』までは、24インチのツーバス、13・14インチのツータム、16・18インチのツーフロアに、2枚のチャイナシンバルを高い位置に置くのが特徴的なセッティングを継続していた。

ツーバスについては、それぞれのチューニングを変えられることを好む理由として挙げていた。

アルバム『ドクター・フィールグッド』からはDW社製にメーカーを変更し、併せてセッティングも、28インチのワンバス、14インチのタム、16・18インチのツーフロアにした。

アルバム『モトリー・クルー』からは、26インチのツーバス、12・13インチのツータム、16・18インチのツーフロアに変更。

アルバム『ジェネレーション・スワイン』からは、32インチのバスドラムに24インチのバスドラム、14インチのワンタム、16・18インチのツーフロアとしていた。また、シェルにファーを施した特殊仕様にしたりもしていた。

2000年代に入るとシンバルをジルジャンに切り替え、以後現在まで使用し続けている。

ドラム・スティックは、当初から、ナイロンチップのものを好んで使用しており、途中からヴィック・ファースで、赤いナイロンチップのシグニチャー・モデルを出していた。同社の2Bを伸長させたもので、現在はヘヴィメタル・モデルとなっている。その後、金属バットメーカーのイーストン・アヘッドから、本体はアルミ製・ショルダーが樹脂で、ナイロンチップのシグニチャーモデルを出し、現在に至る。

パーカッションも好み、特に、曲中での使用が効果的・特徴的なカウベルは、LPのものを、この他、アイスベルやタンバリン、ゴングなども使用する。

モトリー・クルー脱退について

1999年、妻パメラ・アンダーソンへの暴行容疑により逮捕、そして刑務所での生活を送ることになるが、その際にモトリー・クルーの脱退を発表。1999年のワールド・ツアーには同行せず、ラップ・メタルバンドのメソッズ・オブ・メイヘムを結成。数々のミュージシャンが参加したアルバムを発表。シングル「Get Naked」には当時人気の強かったリンプ・ビズキットフレッド・ダーストが参加していたことで有名。その頃、大学に入学したり、映画出演をしたり、妻パメラ・アンダーソンとの家庭用ビデオが流出する等、メディアを騒がすことに関しては事欠かなかった。

トミーの脱退後、モトリー・クルー側はトミーを遠ざける発言や行動を取っていたが、2001年に発表したバンドの自叙伝『The Dirt』の参加に同意した。

その後、ロブ・ゾンビなどが参加したトミー・リー名義のアルバムを発表。2004年にモトリー・クルーへ復帰している。

トミー・リーを演じた人物

ディスコグラフィ

スタジオ・アルバム

  • 『ネヴァー・ア・ダル・モーメント』 - Never a Dull Moment (2002年)
  • 『トミーランド : ザ・ライド』 - Tommyland: The Ride (2005年)
  • Andro (2020年)

モトリー・クルー

メソッズ・オブ・メイヘム

  • 『メソッズ・オブ・メイヘム』 - Methods of Mayhem (1999年)
  • 『ア・パブリック・ディスサーヴィス・アナウンスメント』 - A Public Disservice Announcement (2010年)

ロック・スター・スーパーノヴァ

  • Rock Star Supernova (2006年)

参加アルバム

  • リチャード・マークス : 『ラッシュ・ストリート』 - Rush Street (1991年)
  • スチュアート・ハム : 『アージ』 - The Urge (1991年)
  • ダルベロ : Whore (1996年) ※「Revenge of Sleeping Beauty」に参加
  • ロブ・ゾンビ : 『ヘルビリー・デラックス』 - Hellbilly Deluxe (1998年)
  • ロブ・ゾンビ : 『ザ・シニスター・アージ』 - The Sinister Urge (2001年)
  • ジャックス・マネキン : 『エヴリシング・イン・トランジット』 - Everything in Transit (2005年)
  • フォール・アウト・ボーイ : 『セイヴ・ロックンロール』 - Save Rock And Roll (2009年) ※「Death Valley」に参加
  • フューエル : Angels & Devils (2007年)
  • Figure : Monsters Volume 3 (2013年) ※「Pounds of Blood」に参加
  • フォーリン・ベガーズ : 『ジ・アップライジング』 - The Uprising (2012年) ※「Minds Eye」に参加
  • コートニー・ラブ : "You Know My Name"/"Wedding Day" (2014年) ※シングル
  • スマッシング・パンプキンズ : 『モニュメンツ・トゥ・アン・エレジー』 - Monuments to an Elegy (2014年) ※全曲ドラム担当[5]
  • ポスト・マローン : 『ビアボングズ&ベントレーズ』 - Beerbongs and Bentleys (2018年) ※「Over Now」に参加

脚注

  1. ^ Tommy Lee Bio”. yuddy.com. 2008年2月28日閲覧。
  2. ^ Lee, Tommy; Bozza, Anthony (2005). Tommyland. London: Atria Books. ISBN 9781416502029 
  3. ^ モトリー・クルー トミー・リーの盆栽にニッキー・シックスが「Nice」と称賛”. amass.jp. 2022年7月29日閲覧。
  4. ^ モトリー・クルーのトミー・リー、盆栽の「ジン」をマスターするために練習した結果を投稿”. amass.jp. 2022年7月29日閲覧。
  5. ^ Pattison, Louis: "Q&A", Uncut, January 2015, p67, ""I've known Tommy since 1992," explained Billy Corgan. "Didn't know him real well, but enough to call him up. He was like, 'The Pumpkins drumming style is a lot busier than I play.' But he heard it in demo form and said, 'I wanna play on all of them.' You can hear on tracks like 'Run To Me', where he did a lot of drum programming – he took real investment in the material."

外部リンク





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