トイトブルク森の戦い―アルミニウスの勝利
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「ローマ帝国初期のゲルマニア戦役」の記事における「トイトブルク森の戦い―アルミニウスの勝利」の解説
ローマ軍の主力はイリュリクムでの反乱鎮圧に忙殺されており、ウァルス率いるわずか3個軍団からなるゲルマニア方面軍はゲルマニアの奥地で孤立していた。カルクリーゼ城(現オスナブリュック郡)に向かうローマ軍は、現地の地形に通じたゲルマン人偵察兵を先行させていた。しかし彼らまでもアルミニウスの策略の一端を担っており、ローマ軍の元に戻った偵察兵たちは前途が安全であると虚偽の報告をした。それどころかウェルズやAbdaleによれば、彼ら偵察兵は敵のゲルマン人たちにローマ軍の到来を知らせ、奇襲の態勢を整える時間を与えていた。 街道を北上するローマ軍の縦隊は、西側の丘を迂回するように進んでいた。丘は樹木が茂り、周囲は湿った土地になっていて、東には林、北には沼沢地が広がっていた。ただこの沼地は、丘の北東で曲がるまではローマ軍の視界に入っていなかった。ローマ軍が丘のふもとのぬかるんだ道を進んでいた時、縦隊の先頭部が襲撃された。さらに左手の丘の林の中から大きな雄叫びが上がるとともに、ローマ軍に向けて投槍が降り注がれた。急な攻撃を受けたローマ軍はパニックに陥り、統制を失った。包囲されたローマ軍は、密集した陣形とぬかるんだ土のせいで、まともに反撃することができなかった。 十分ほど後、ようやく中軍のウァルスの元に知らせが届いた。狭い地形と部隊の混乱のため、中軍と先鋒の連絡がうまく取れなくなっていた。襲撃が大規模なものであることに気づけなかったウァルスは、先頭の部隊を救うため中軍を前進させた。しかしこれによって林の中へ押し出されたローマ兵たちは、さらに激しいゲルマン人の攻撃にさらされた。ここに至ってローマ軍の中軍や後衛は四方へ逃げ出し始めた。しかしそのほとんどは沼地に脚を取られ、殺された。ウァルスはおそらくここで自軍の状況を悟り、自分の剣で自殺した。ほんのわずかなローマ兵が、森の中で息をひそめて隠れながら、クサンテンの冬営地に帰還することができた。
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