トイトブルク森の戦い―アルミニウスの勝利とは? わかりやすく解説

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トイトブルク森の戦い―アルミニウスの勝利

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/06 18:38 UTC 版)

ローマ帝国初期のゲルマニア戦役」の記事における「トイトブルク森の戦い―アルミニウスの勝利」の解説

ローマ軍主力イリュリクムでの反乱鎮圧忙殺されており、ウァルス率いるわずか3個軍団からなるゲルマニア方面軍ゲルマニア奥地孤立していた。カルクリーゼ城(現オスナブリュック郡)に向かうローマ軍は、現地地形通じたゲルマン人偵察兵先行させていた。しかし彼らまでもアルミニウス策略一端担っており、ローマ軍元に戻った偵察兵たちは前途が安全であると虚偽報告をした。それどころウェルズやAbdaleによれば、彼ら偵察兵は敵のゲルマン人たちにローマ軍到来知らせ奇襲態勢整え時間与えていた。 街道北上するローマ軍縦隊は、西側の丘を迂回するように進んでいた。丘は樹木茂り周囲湿った土地になっていて、東には、北には沼沢地広がっていた。ただこの沼地は、丘の北東で曲がるまではローマ軍視界入っていなかった。ローマ軍が丘のふもとのぬかるんだ道を進んでいた時、縦隊先頭部襲撃された。さらに左手の丘のの中から大きな雄叫び上がるとともにローマ軍向けて投槍降り注がれた。急な攻撃受けたローマ軍パニックに陥り、統制失った包囲されローマ軍は、密集した陣形ぬかるんだ土のせいで、まともに反撃することができなかった。 十分ほど後、ようやく中軍ウァルス元に知らせ届いた。狭い地形部隊混乱のため、中軍先鋒連絡がうまく取れなくなっていた。襲撃大規模なのであることに気づけなかったウァルスは、先頭部隊を救うため中軍前進させた。しかしこれによっての中へ押し出されローマ兵たちは、さらに激しゲルマン人攻撃さらされた。ここに至ってローマ軍中軍後衛四方逃げ出し始めた。しかしそのほとんどは沼地に脚を取られ殺された。ウァルスはおそらくここで自軍状況悟り自分の剣で自殺した。ほんのわずかなローマ兵が、森の中で息をひそめて隠れながら、クサンテン冬営地に帰還することができた。

※この「トイトブルク森の戦い―アルミニウスの勝利」の解説は、「ローマ帝国初期のゲルマニア戦役」の解説の一部です。
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