デポルティーボ・サンタニ
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「内田大貴」の記事における「デポルティーボ・サンタニ」の解説
2015年2月18日にはパラグアイのデポルティーボ・サンタニが1シーズンの契約を締結した事が発表された。この時同時にメキシコ人のアロンソ・コラゾの加入も発表され、チームに所属する僅か2人の外国人のうちの1人となった。7月10日には同クラブとの契約解除が報じられ、その理由はスペイン語での意思疏通が難しかった事にあった。同時に彼は日本に帰国できない事も報じられ、代理人が選手を捨てた事にあると報じられた。彼の弁護士によって署名された手紙にはこの問題についてと何故帰国出来ないのかが記されていた。彼自身は「サンタニとの契約があった5か月の間、給料を受け取る事が出来ず、代理人の佐藤氏に救済を要請したものの、彼ははぐらかすばっかりで、見放されたと感じた。」と述べた。この問題は彼がスペイン語を理解していなかった事、代理人がそういう条項を契約に含めていた事を彼が当時知らなかった事にあると判明した。無報酬であった彼を放出するのに佐藤は契約にあった1万8000米ドルに及ぶ額を支払う事となった。この間の宿泊先と食費はサンタニが提供したものの、彼は孤独やノイローゼによって大きく体重を落としてしまった。終いにはサンタニが用意した場所を捨て、自らの貯金でホテルに宿泊した。彼はその一方でパラグアイサッカー協会には熱心にアピールした。 17日には彼と代理人の双方が合意した事が報じられ、日本へ帰国出来る運びとなった。彼が日本に帰国できない事由を両者で話し合い、誤解を解く事が出来た。互いの主張していた事は以下の通りである。内田は2015年2月から無報酬であり、スペイン語がわからないのにつけこんで報酬を代理人が受け取っていた、特に連絡も無かったと主張していた。佐藤側の代表者は佐藤は2012年、セロ・ポルテーニョPF時代から連絡を取っていたと説明した。更にスペインから連れ出してホテルを取りサンタニに入団させたのは佐藤の手柄である、また1万8000米ドルの支払合意についてもあくまで貸与であると主張していた。結果、内田も誤解があった事を認めた。
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