デポルティーボ会長として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/02/03 16:00 UTC 版)
「アウグスト・セサル・レンドイロ」の記事における「デポルティーボ会長として」の解説
1988年、デポルティーボ・ラ・コルーニャの会長に就任。それまでデポルティーボは弱小クラブに過ぎなかったが、レンドイロは優れた交渉力と豊富な資金力をクラブ強化に繋げていく。1991年にクラブはプリメーラ・ディビション昇格を果たし、1998年に就任したハビエル・イルレタの下で、クラブは全盛時代を迎えた。リーグ制覇(1999-2000)、コパ・デル・レイ優勝(2001-02)、5シーズン連続のUEFAチャンピオンズリーグ出場(2000-01から2004-05まで)など、スーペルデポルと呼ばれる黄金時代を築いた。GKフランシスコ・モリーナ、MFフアン・カルロス・バレロン、FWディエゴ・トリスタンらを擁し、攻守にバランスの取れたチームは、ユヴェントスFCやACミランなど欧州の強豪と互角に渡り合った。 しかし、戦術のマンネリ化や選手の高齢化、育成施設の建設等による負債などによりクラブの成績は下降。現在は下部組織の充実に努め、ミゲル・アンヘル・ロティーナ監督による堅守速攻に基づくチーム作りが進められている。2013年に破産申請、チームも二度の2部降格を経験するなど苦しむなか、2014年1月に会長を退任した。
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