ディベートとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ディベートの意味・解説 

ディベート

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/14 19:01 UTC 版)

ディベート(debate)とは、ある的な主題について異なる立場に分かれ議論することをいう(広義のディベート)。討論(会)とも呼ばれている。


  1. ^ Weblio英和辞典「debate」
  2. ^ 新村出編『広辞苑(第6版)』岩波書店、2008年。広辞苑は、「ディベート」については、ほぼ正確な定義をしているが、「討論」を「debate」の訳語としながら「ディスカッション」を「討論」と同視するなど、一般の語法の混乱ぶりが反映している。この他、国語辞典英和辞典の大多数が、「ディスカッション」を「討論」と同視している。
  3. ^ 松本茂『頭を鍛えるディベート入門』講談社〈講談社ブルーバックス〉、1996年。
  4. ^ 詭弁」という言葉は、2つの異なる意味を持つ。論理学における詭弁(sophism)とは「誤った論理展開に基づく推論」をいうが、本文でいう詭弁は「道理に合わないことを正当化しようとする弁論」の意味であろう。
  5. ^ このような批判は教育ディベート関係者の活動と無縁なものではない。全国教室ディベート連盟において中心的な役割を担った西部直樹からして『一分間「相手をやり込める」技術』なる書籍を上梓している。
  6. ^ 茂木秀昭『ザ・ディベート:自己責任時代の思考・表現技術』筑摩書房、2001年。
  7. ^ ウィリアム・フランケナ著、杖下隆英訳『倫理学』培風館、1975年、146頁。フランケナは「ある倫理・価値の名辞の定義を採用すること、またそれに固執しつづけることを弁護するということは、それと相応ずる道徳的原則を正当化しようとすることに等しいと考えられる。原則の擁護のために定義に訴えることは正当化の問題の解決にはならない。」とする。
  8. ^ 後述するように、教育ディベート(狭義のディベート)や、競技ディベート(最狭義のディベート)を、単なるディベート(広義のディベート)と混同しているために起こる混乱であると見ることもできる。
  9. ^ 『洗脳原論』(春秋社 2000年ISBN 4-393-36116-4
  10. ^ 2007年4月29日から毎月1回放送。前身は「BSディベートアワー」(2003年4月20日~2005年1月30日放送)。「BSディベート」(2005年4月24日~2007年3月25日放送)。「スーパーサラリーマンの条件」といったテーマについてゲストが意見交換する。公的な主題についての議論だが、多くは明確な対立構造がなくディスカッションに近い[独自研究?]
  11. ^ 2005年10月14日放送。「昔の恋人の写真を捨てるか捨てないか」「鼻をかんだ後を見るか見ないか」といったテーマについて芸能人同士が議論する。意見対立が一応は前提されているが、ほぼ的な主題のみを扱っており日常の低質な議論に近い[独自研究?]
  12. ^ 日本ディベート協会の定義(安井省侍郎「ディベートとは」(初心者のためのディベートQ&A)日本ディベート協会参照)や全日本ディベート連盟の定義(矢野善郎「CoDAの考えるディベート」全日本ディベート連盟参照)では、もっとも広い意味として、本文にいう広義のディベートに近いものを呈示しており、本文のような最広義のディベートを認めていないものと考えられる。もっとも、明治期の「討論」という言葉が現代において「議論」との違いを消失しつつある以上、80年代以降の「ディベート」という言葉が現代において「議論」との違いを失いつつあるのは至極自然なこととも言える[独自研究?]
  13. ^ 蟹池陽一監修、蟹池陽一ほか著『現代ディベート通論(増訂版)』全日本英語討論協会、1985年、1~6頁。
  14. ^ 日本では議論学国際学術会議(Tokyo Conference on Argumentation)が、国際的には国際アーギュメンテーション学会(InternationalSociety for the Study of Argumentation)がそれぞれ開催されている。
  15. ^ 川本信幹・藤森裕治編「教室ディベートハンドブック」『月刊国語教育別冊』東京法令出版、1993年、12~13頁。
  16. ^ 松本茂「ディベート教育の目的と方法論を再考する」『先端的言語理論の構築とその多角的な実証:ヒトの言語を組み立て演算する能力を語彙の意味概念から探る』神田外語大学大学院言語科学研究科、2001年、405~411頁。
  17. ^ 倉島保美 「ディベートを始めるには」 Debate Open Space 2008年2月9日閲覧。倉島は、教育ディベート関係者がディベートの効果を過大評価する傾向があるので注意が必要であるとする。
  18. ^ このような目的に応じた制約を教育ディベートそれ自体の定義に含もうとする傾向も散見されるが、このような定義が論点の先取りであることは既に述べた。
  19. ^ 赤塚公生、阿部正春「ディベート学習の現状と課題:アンケート調査と高等学校『現代社会』での実践から」『平成5年度研究紀要 Vol.23』福島県教育センター、107頁。福島県における調査結果として、勝敗を決定するケースがほぼ半数に過ぎないことを指摘している他、勝敗を決定しない事例について紹介されている。また、同調査では、生徒本来の賛否を尊重して議論させるケースが9割以上と圧倒的多数を占めている。
  20. ^ a b c 戦前から戦後の事情については、以下の資料に詳しい。和井田清司「戦後ディベートの源流:日本におけるディベート導入史に関する一考察」『武蔵大学人文学会雑誌第33巻第1号』武蔵大学、2001年。和井田は、戦前から戦後すぐの討論会では、参加者本来の賛否のまま議論するケースが多かったことを指摘する。
  21. ^ ピーター・ミルワード『ディベートのすすめ』英友社、1983年、17~18頁。同書では、英国式のディベートを支持する立場から、「論敵をおどして降伏させようとしているかのように、声を張りあげて、矢継ぎ早に、自分たちの見解の裏付けとなる事実や論拠をまくしたてた」米国の学生に対し、英国学生が「ずっとくつろいだ態度で、問題の主題をしっかりと押さえて、ウイットに富んた議論を展開し」た様子を紹介している。
  22. ^ 近年世界で立ち上がりつつある「即興型ディベート・スタートアップ/NPO・NGO」|Akira Kato / 加藤 彰|note” (日本語). note(ノート). 2019年1月14日閲覧。
  23. ^ a b 岡山洋一「ディベートの歴史:十六世紀~明治時代~大正時代」『授業づくりネットワーク1994年7月号8月号』学事出版、1994年
  24. ^ 福澤諭吉は『福澤全集緒言』の中で「デベートは討論と訳し」と述べている。「福澤全集緒言 - 117 ページ」を参照。
  25. ^ 田村究『討論の研究』徳峯社、1948年、79 - 81頁。 日本初のディベートは後述する「事実論題」によるものであったことになる。なお「プロパーチー」は資産(property)、「サラリー」は給与(salary)。
  26. ^ もっとも、松本道弘は、90年代半ばころから、「六角ディベート」なる新たなディベートを提唱するなど独自の路線をとり始め、教育ディベートの主流から離れることとなった。
  27. ^ インターネット上で確認できたものだけでも、大阪産業大学経営学部流通学科・経済学部、大阪経済大学経済学部ファイナンス学科、名古屋市立大学人文社会学部、九州大学法学部、早稲田大学法科大学院がある。
  28. ^ 平成10年文部省告示第175号、平成10年文部省告示第176号、平成11年文部省告示第58号。総合学習について「発表や討論」などを積極的に取り入れることを求めたほか、中学校・高等学校の国語科の一部について、「自分の考えを明確にして,スピーチ,発表,討論などを行うこと」を通じた指導を一例に挙げている。
  29. ^ 「価値あるディベートそうでないディベート」矢野善郎(NAFAセミナー1998年3月15日)[1]
  30. ^ 先に述べたように、論理学における詭弁とは「誤った論理展開に基づく推論」を意味するが、この意味での「詭弁家を育てる」という批判は失当である。論理学教育でもある教育ディベートにおいて、誤った論理展開を教え学ぶ者の存在は想定されていない。[要出典]
  31. ^ 新井郁男「野外文化講座『持つ』文化と『ある』文化(12)」『野外文化』、1995年2月20日、7頁。教育ディベートについての「本当は反対であるにもかかわらず,賛成の立場をあえてとらせるというのは、議論の前提の善し悪しは別として、前提を正当化する論理的話術を身につけさせるということであろうが、重要なことは前提の善し悪しを問うことではないだろうか」
  32. ^ ソクラテスプラトンによるソフィスト批判が典型である。
  33. ^ 上祐史浩とその元彼女都沢和子は、早稲田大学の英語研究会(ESS)出身で教育ディベートの経験者であった。このことがマスメディアに報じられて以来、教育ディベートには「ああ言えば上祐」という流行語のイメージがつきまとうこととなった。
  34. ^ 80年代以降の教育ディベートを当初主導した松本道弘は、ディベートの能力をよく切れるに例え、刀を抜くべきときと抜くべきでないときとを見極めなければならないとする。
  35. ^ ハンナ・アレント著、佐藤和夫訳『精神の生活』岩波書店1994年。ハンナ・アレントは、ニヒリズムやマルキシズムのはらむ危険性は決してそれらに特有のものではなく思想一般に内在するものであるとして「危険思想は存在しない。思想そのものが危険なのである。」と述べている。
  36. ^ 藤岡信勝や北岡俊明といった自称“歴史教育の研究者”による教育ディベートは厳しい批判の対象となっている。ちなみに北岡は経済学部卒で本業は経営評論家
  37. ^ 佐貫浩・神原昭著、彦藤原彰・森田俊男編「藤原信勝氏のディベート論について」『近現代史の真実とは何か』大月書店1996年。「教室でのディベートの論題には、その結論がまだ確定しておらず、あるいはどう考えるかが論争的であるようなもののほうが有効」とし、藤岡らが提起する歴史認識については結論が確定しているかのような見解を示しているが、その根拠は明確でない。
  38. ^ 柿田秀樹「レトリックとディベートの政治的本質:倫理批評実践」『JDA Newsletter Vol.XIV, No.4:日本におけるディベートの普及について(その3)』日本ディベート協会、1999年。柿田は、北岡のディベートの捉え方自体を「資本主義の言説を何の懐疑も持たずに鵜呑みにしている査証であり、それこそがディベートの掲げる批判精神を裏切るもの」として批判する。
  39. ^ この他、「命題」(proposition)ないし「議題」(resolution)と呼ばれることもある。
  40. ^ 西部直樹『はじめてのディベート』あさ出版1998年、36頁。その他、多くの文献で指摘されているが、根拠は必ずしも明らかでない。おそらく一般には次のような考慮に基づくものと思われる。価値論題で必要となる価値の優劣の判断は、それ自体が哲学上の難問である。事実論題における事実の有無の判断は、哲学上の立脚点を定めさえすれば比較的容易だが、多くの場合、定義が問題となり複雑な概念操作は避けられない。これに対して政策論題は、政策の優劣を判断するために必要な哲学上の立脚点や定義について合意が形成されている場合が多く、その前提を基にして価値と事実とを扱うことが可能である。もっとも、これらの特徴は相対的なものであり、例えば政策論題で哲学上の問題が中心的な争点となる場合もある。
  41. ^ Ak_debate (2018年1月13日). “ディベート自由帳: 【初心者向け】即興型ディベートって何?”. ディベート自由帳. 2019年1月14日閲覧。
  42. ^ ディベートとは? | CDS-Project” (日本語). 2019年1月14日閲覧。
  43. ^ 立論(Constructive Speech)とは、議論の趣旨や筋道を組み立て主張することをいう。
  44. ^ 反駁(Rebuttal Speech)とは、相手の立論に対する反論、あるいは反論に対する再反論を意味する。単に反論ともいう。
  45. ^ 相手の立論につき質問を通じて検証することを意味する。英国式の競技ディベートではポイント・オブ・インフォメーション(point of inofrmation)、米国式の競技ディベートでは交互尋問(Cross Examination)とも言う。両者の概念的違いは明らかではない。
  46. ^ AFA主催のトーナメントがNDT。
  47. ^ 米国式の競技ディベートは、当初は法廷でのディベートを範型とした定常争点モデル(Stock Issues Paradigm)、学会でのディベートを範型とした仮説検証モデル(Hypothesis Testing Paradigm)などを経て、現在では一般に政策形成モデル(Policy Making Paradigm)を採用している。ここでいう議論内容の審査とは、政策を導入した場合の利益衡量である。しかし、近年は内容そのものを問うような議論(パフォーマンスを議論としてその内容を提示する議論や、個々のディベートプログラムの政治的信念に基づくプロジェクトと呼ばれる議論)がますます盛んになってきている。
  48. ^ Alexander Kent "'The Great Debaters' interviews: Denzel Whitaker takes direction from namesake" Louisiana Movies Blog, December 24, 2007
  49. ^ 和井田、前掲書。オレゴン式とは当時のAFA/ADAスタイルのことだと思われる。これに対してCEDAスタイルはアリゾナ式などと呼ばれた。
  50. ^ 競技ディベートでは一般的に禁止されているニュー・アーギュメント(反駁段階での新しい議論)が見られるなど関係者からはリアリティの面で批判の多い作品である。なお、ビデオ化にあたって、『リッスン・トゥ・ミー:ディベートに賭ける青春』と改題されている。
  51. ^ http://www.sonyclassics.com/thumbsucker/
  52. ^ http://www.debatemovie.com/
  53. ^ http://www.imdb.com/title/tt0477078/




このページでは「ウィキペディア」からディベートを検索した結果を表示しています。
Weblioに収録されているすべての辞書からディベートを検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
 全ての辞書からディベートを検索

英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ディベート」の関連用語

ディベートのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ディベートのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのディベート (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS