テムジンとの亀裂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 07:11 UTC 版)
1197年、オン・カン、テムジン同盟軍はメルキト部族へ遠征し、勝利を得た。この時テムジンは戦利品をすべてオン・カンに渡した。テムジンの援助によって窮地から脱したオン・カンは翌年(1198年)、テムジンに相談することなく再びメルキト部へ遠征するほどの兵力を集めることができた。オン・カンはメルキト部をブウラ・ケエルの地で破り、メルキトの部族長トクトア・ベキの子トグズ・ベキを殺し、その子チラウン、弟のクドを捕え、その家族と家畜を奪ったが、テムジンにはこれらの戦利品を何一つ分け与えなかった。 1199年、オン・カンとテムジンはナイマン部族に向かって進軍した。同盟軍はナイマン部の内紛に乗じてナイマン王ブイルク・カンを攻め、多くの捕虜と家畜を手に入れた。時に共に行動していたモンゴル・ジャディラト氏族のジャムカはテムジンを妬み、オン・カンを誘い込んでテムジンを裏切った。テムジンはサアリ・ケエルへ撤退したが、これを見ていたナイマンの将サブラクはオン・カンを追撃し、その弟ビルカとジャカ・ガンボ(ケレイテイ)の家族と家畜と輜重を奪い、ケレイトの領土に侵入して略奪を行った。オン・カンは息子のイルカ・セングンを敵軍にあたらせ、一方でテムジンに使者をやって援助を乞うた。テムジンは裏切られたにもかかわらず、援軍を向かわせてナイマン軍を潰走させ、奪われていたものをすべてオン・カンに返してやった。
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