テッド・ショーンとデニショーンの創設
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テッド・ショーンは、1891年10月21日、ミズーリ州カンザスシティに生まれた。はじめは聖職者を志し、デンバー大学に通った。ところが在学中、19歳でジフテリアにかかり、腰から下の一時的な麻痺を経験するが、その療養中、かつてメトロポリタン・オペラのダンサーだったヘイゼル・ウォラックの指導で初めてダンスにふれる。1910年のことであった。1912年、ショーンはロサンゼルスに転居し、そこで社交ダンスのグループに加入した。 ショーンが自身のアーティストとしての真の可能性を悟るのは、1914年にニューヨークへ移り、ルース・セント・デニスに出会った時のことである。2人はそれから2ヶ月も経たずして、1914年8月13日に結婚した。セント・デニスは、パートナーであるだけでなく、ショーンにとって非常に貴重な創造の受け皿ともなった。どちらのアーティストも、ダンスが一つの芸術の形式として日常生活に組み込まれる可能性を強く信じていた。彼ら相互の芸術的ヴィジョンと、ショーンのビジネスの知識を組み合わせることで、二人は1915年にカリフォルニア州ロサンゼルスに最初のデニショーン学校(英語版)を開設した。その趣旨は、ダンスを、身体・心・精神と溶け合わせることにあった。 デニショーンとして活動が続いた17年間の、ショーンの主要な振付作品には、Invocation to the Thunderbird(1917年)、チャールズ・ワイドマン(英語版)のソロ Danse Americaine(1923年)、マーサ・グレアムによる Julnar of the Sea、Xochitl(1920年)、Les Mysteres Dionysiaques などがある。ワイドマンやグレアムは以後活躍するが、他にドリス・ハンフリーもデニショーン学校の生徒であった。
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