ツーリングカー・GTカー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 15:26 UTC 版)
「アレッサンドロ・ナニーニ」の記事における「ツーリングカー・GTカー」の解説
事故でレース生命を絶たれたかに思えたが、縫合手術に成功し、長いリハビリを経てレースに復帰。1992年日本GP前、イタリアでの企画で、ステアリングのグリップ部分にスイッチを移植し左手のみでシフトチェンジできるように改造したフェラーリ・F92Aをテストドライブしたが、この際に右手がF1走行に耐えられないと自ら判断、F1復帰を完全に諦めたという。その時、「ずっと待っていたクリスマスプレゼントをもらった子供のような気分かな」とにこやかに話し、気取らない好漢ぶりをみせた。 F1後は活動の場をツーリングカーレースに移し、アルファロメオのワークスドライバーとしてレースの最前線に戻った。1992年はイタリア・ツーリングカー選手権(CIVT)でアルファロメオ・155GTAをドライブし3位。1993年よりドイツツーリングカー選手権(DTM)に参戦。右腕の負担を軽減するよう改造された特別車を駆り、ニコラ・ラリーニと元F1ドライバーコンビで活躍した。DTM改め国際ツーリングカー選手権(ITC)となった1996年シーズンは最多の年間7勝を記録したが、ランキングは3位に終わる。また、この年にはベネトン・B196のテストドライブも行っている。 1997年FIA GT選手権への参戦を最後にレーサーを引退した。
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