ツヅラフジ科と思われるもの
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/12 10:46 UTC 版)
「藤織り」の記事における「ツヅラフジ科と思われるもの」の解説
青森県五戸地方で「クジヨフジの布」と称されたものは、葛藤のことであるといわれた。 山形県の鼠ヶ関では、「まふじの蔓でフシコンを作って作業着にした」と、伝えられているが、このまふじは「地面を這う若い蔓を伐ってきた」とも伝えられている。藤布は空中の蔓を用い、地面を這う蔓でなければならないとされるのは葛布であることから、このまふじは葛藤であった可能性が高い。 茨城県の小舟村では、山から葛藤(とくに地這いのもの)を採集してその繊維で作った布を「藤木綿」と称した。これは、昭和に入ってからも製織した。 信州でコイノと呼ばれた仕事着は、葛藤の皮の繊維を織ったもので、夏冬通しで10年は着用できる丈夫なものだった。 滋賀県、野坂山地の一部に位置した天増川村では、明治30年頃まで、女性の衣服は葛藤で織った布で仕立てたコンナシ(上衣)やカルサン(下衣)で、この布地を「フジノノ」と称した。フジノノは軽く、夏は汗をはじき、茨にも強かったので山着に適していた。同じく滋賀県の 米原上丹生村では、葛藤(ウマツル)で藤織りをした。8月頃に採集した蔓を地中に埋めて蒸し、外皮を腐らせたところで川で洗い流し、内皮の繊維で糸を積んだ。これを緯糸に用いて布を織ったり、衾の裏張りや下張りに用いた。 岡山県の羽出村では、「山の地に這った枝の出ない藤」を採集して、その繊維で糸を紡ぎ、藤織りを行った。同じく岡山県の八束村でも、地を這う藤を秋に採集し、その繊維で糸を紡いで機で織り、着物や袋などに仕立てた。これらはシキノ、オオジキノ、フジ袋とよばれるもので、ひじょうに丈夫であり、水車に米を運ぶ袋に用いたり、麹作りの袋に利用した。
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