チャンドラーの辞任
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 23:26 UTC 版)
「1951年のメジャーリーグベースボール」の記事における「チャンドラーの辞任」の解説
ランディス判事の死去に伴って、第2代目のコミッショナーに就任したハッピー・チャンドラーがこの年7月15日に引退を表明し、任期満了の1年前にその職を辞することになった。コミッショナーに就任してすぐにメキシコリーグ事件で手腕を発揮しランディスに劣らぬ厳しさで臨み、ジャッキー・ロビンソンの入団に際しても強い姿勢を貫いたが、オールスターゲームとワールドシリーズの放送権料の全額を選手の養老年金に組み入れるという彼の決定が他のオーナーの反発を買い、そして前年6月9日の日曜日にセントルイス・カージナルスがナイトゲームを予定していたが教会の行事に配慮したチャンドラーが異議を訴えて、翌日10日の月曜日に変更されたことで、カージナルスのオーナーであるフレッド・サイが年末12月のオーナー会議の席でチャンドラーの解任動議を出した。この動議は不発であったが、この動きから1952年の任期満了に伴う再任の見通しが立たなくなったことで、この年の3月のオーナー会議でチャンドラーはコミッショナーの信任動議を出した。ところが16球団のオーナーが出した投票結果はチャンドラーにノーというもので支持するのはわずか4球団であったと言われる。「私は選手の大部分、ファンや審判たちの後ろ盾を得ていたが、にもかかわらず解雇された」とその地位を去る最後の日にチャンドラーは語った。戦後に観客動員数が倍増して野球を大企業として莫大な収益を図ろうとするオーナーたちの野望の前にはコミッショナーは無力な存在になりつつあった。しかし観客動員数は1949年をピークに減り始めていた。
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