チェコにおける伝説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/19 11:00 UTC 版)
「レフとチェフとルス」の記事における「チェコにおける伝説」の解説
チェコで知られている伝説には、チェコ民族(Národ)の祖チェフと、ポーランド民族の祖レフのみが登場する。ダリミルの年代記、ヴァーツラフ・ハーイェクの年代記、プジビーク・プルカヴァ・ズ・ラデニーナの年代記など14世紀以降の古典的な年代記には、兄弟の故地ハルヴァティ(Charvaty)についての言及があるものの、その具体的な場所は説明されていない。これに対してアロイス・イラーセクは1894年に著した小説『チェコの古き伝説』(Staré pověsti české)において「タトラ山脈の背後、ヴィスワ川の平原に、太古の昔からハルヴァーツカーの地 (charvátská země、おそらく、いわゆる白クロアチア(英語版)を指している)、偉大なスラヴの故国が広がっている」、そして「ハルヴァーツカーには、言語、風習、生きざまによって多くの部族が存在していた」としている。 ある伝説によれば、ハルヴァティの地で絶え間なく争いが起きるようになり、それまで平和に土地を耕し穀物を育ててきた人々にとって住みよい土地でなくなってしまった。また別の伝説では、チェフは殺人の咎でこの地を離れざるを得なくなった。チェフは人々を集め、夕日に向かって旅立った。1314年のダリミルの年代記によれば、チェフは人々と共にジープ山に登って目下の地を見渡し、約束の地にたどり着いたのだと同胞たちに告げた。いわく、この地は獣、鳥、魚、蜂が豊富で食卓が常に満ち溢れ、また外敵から身を守るのにも適しているのだと。1374年ごろのプジビーク・プルカヴァによる物語では、チェフの兄弟レフは北の雪の山を越えて低地へと旅を続け、ポーランドを発見したのだとされている。 1541年のヴァーツラフ・ハーイェクの年代記には、他の文献にみられない数多くの(おそらく創作された)挿話が数多く見られる。彼によれば、チェフとレフの兄弟は故国ですでに城持ちの公であったという。そしてチェフがチェコに到着したのは644年のことであるとしている。
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