ダベロウ / SEB AG
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 00:26 UTC 版)
「ハム (ヴェストファーレン)」の記事における「ダベロウ / SEB AG」の解説
ダベロウ邸は現在、銀行 SEG AG が入居するハム内市街、ヴェスト通り26番地の建物である。ここには、弁護士事務所も入居している。この建物は1995年から保護文化財に指定されている。ここからは、毎年45ストゥーバーがアントニウス=ガストハウスに、32ストゥーバーがヴェステンホスピタルに税として支払われていた(1790年、1802年の証拠が遺る)。この館は1790年に未亡人で女性説教師のコヒウスが所有していた(1802年にも同様の記録)。ヨハン・マクシミリアン・コヒウス(1766年没)はドレーヒェンの牧師であった。1803年にはフォン・プレッテンベルク少佐が賃貸でこの屋敷に住んだ。1820年と1822年には賃借人として家具職人のフォルマー一家(ウナ出身の家具職人ハインリヒ・クリストフ・フォルマー(1820年没)とその息子家具職人見習いハインリヒ・フローレンス・ヴィルヘルム・フォルマー)が記録されている。この頃にはすでに、この館はヨハン・マクシミリアン・コヒウスの娘ヴィルヘルミーネ・アマリー・コヒウスが相続していた。彼女は1800年にハーゲンの牧師ヴィルヘルム・ハルフマンと結婚した。彼女は1831年にもこの館の所有者として記録されている。1846年にはハルフマン牧師の妻がヴェストフェリシャー・アンツァイガーにこの館を売却する広告を掲載した。1866年と1886年に、商人のハインリヒ・トッペが所有者であったことが証明されている。彼は1902年にもここで鉄・鋼・真鍮の販売を営んでいた。1908年、オットー F. ダベロウがこの館を有名なダベロウ書店に改造した。この書店は1990年代まで存続していた。1926年、建築家ハンス・ジャックマー・ダベロウの設計に基づいて、ブラウアー・ザール(青のホール)が新即物主義様式で建設され、ここでは主に詩の朗読会が催された。オットー F. ダベロウは、ハム郡およびハム市の郷土カレンダーの発行者としても知られているが、このカレンダーは1925年、1926年、1927年に発行されただけであった。
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