ダゲスタンでの評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/02 17:29 UTC 版)
「アメト=ハン・スルタン」の記事における「ダゲスタンでの評価」の解説
アメト=ハンは生涯クリミア・タタール人であることを公言していたが、父方のルーツの「ダゲスタン人」であると主張したことはなかった。しかしダゲスタン共和国でもアメト=ハンをダゲスタン人の英雄と見る動きもあり、クリミア・タタール人団体と衝突することがある。ダゲスタンの新聞「ダゲスタン・プラウダ(英語版)」は彼の事故死の際、「ダゲスタンの人民の勇敢な息子」と題した追悼記事を組んだ。1988年にはカスピスク(英語版)の第8中学校を「アメト=ハーン名称第8中学校」と改名。 ダゲスタン共和国首都マハチカラをはじめカスピスク(英語版)、サカ(Sakah)にも「アメト=ハン通り」があるほか、アメト=ハンの名を冠した峰もある。 2016年、ダゲスタン共和国政府はローカル褒章として「アメト=ハン記章」を作成した。マハチカラ近郊のウイタシュ空港(英語版)は彼の名誉にちなんで命名された。 なお、前述のとおりアメット・カーンはダゲスタンで生まれ育ったことはなく、ダゲスタンの言語を一つも話せなかった。また、アメト=ハンは彼の国民意識について尋ねられたとき、誇らしげに「私はクリミア・タタール人の息子です!」と言っていたが、一方でダゲスタンの詩人ラスール・ガムザートフは著書「わがダゲスタン」の中で、アメト=ハンと対談した際、彼はこのように話したと記している。 「 私はタタール人の英雄でもラク人の英雄でもありません。私はソ連の英雄です。そして誰の息子でしょうか?父と母です。それらを互いに分離することは可能でしょうか? 」 フェオドシヤにある胸像 アルプカの「アメト=ハーン通り」 アルプカの「アメト=ハーン通り」にある胸像 ウイタシュ空港(英語版)にある胸像
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