ダウド・アイゼンハワー
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「ドワイト・D・アイゼンハワーの家族」の記事における「ダウド・アイゼンハワー」の解説
ダウド・ドワイト・アイゼンハワー(Doud Dwight Eisenhower, 1917年9月24日 - 1921年1月2日)は、ドワイトとマミーの長男である。彼は母の旧姓と父親の名前にちなんで名付けられ、両親からは「イッキー」(Ikky)と呼ばれていた。 ダウドはテキサス州サンアントニオで生まれ、その後に母と共にコロラド州デンバーに移り、その間に父はメリーランド州キャンプ・ミード(英語版)に駐在していた。 一家がミード基地に移った後、マミーは地元の16歳少女をメイドとして雇った。彼女は猩紅熱を患って回復していた。1920年12月、クリスマス直前にイッキーは彼女から猩紅熱をうつされた。マミーは必死にイッキーを救おうとし、ボルチモアのジョンズ・ホプキンズ病院の専門家に電話をかけたが、彼は1921年1月2日に亡くなった。父ドワイトはこの一件を「人生で最も衝撃的な瞬間であり、結婚関係の多くを破壊した」と述べた。夫妻はメイドの病歴を調べなかった自分たちを責めた。 イッキーの死から1週間にも満たない1921年1月7日、彼の遺体はデンバーのフェアモント墓地に埋葬された。アイゼンハワーはイッキーの死について語ることをほとんど躊躇していた。1966年、イッキーはアイゼンハワー大統領センター(英語版)に再埋葬された。1967年、ドワイトはイッキーの死を「私の人生で最大の失望と惨事、完全に忘れることが出来ないもの」と振り返った。ドワイトは生涯にわたって毎年イッキーの誕生日にはマミーに花を贈った。ドワイトとマミーはイッキーの墓の隣に葬られている。
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