タルボ時代 (1980–81)
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「ヘンリ・トイヴォネン」の記事における「タルボ時代 (1980–81)」の解説
1980年シーズン、タルボに加入したトイヴォネンはタルボ・サンビーム・ロータスに乗り1月のアークティック・ラリーで優勝したが、WRCイベントには年間4戦のみの参戦にとどまった。トイヴォネンの大胆なドライビングスタイルは多くのクラッシュを招くこととなり、多くのラリーでペースの速さに見合った結果を得ることができなかった。成績を向上させるため、タルボ・チームはトイヴォネンのナビゲーターとして1980年シーズン中に3人の異なるコ・ドライバーを試した。この年の1000湖ラリーではSS11で事故のためリタイアした。続くラリー・サンレモでは5位入賞を果たした。11月のRACラリー、ポール・ホワイトと組んで参戦したトイヴォネンはハンヌ・ミッコラに4分以上の差をつけて勝利し、ファンと専門家の両者を驚かせた。当事者であるトイヴォネンとタルボ・チームにとっても、RACラリーでの優勝は予想外のことだった。 トイヴォネンの年齢はこの優勝時に24歳と86日であり、当時最年少のWRC優勝者となった。この記録は、2008年のラリー・スウェーデンで22歳のヤリ=マティ・ラトバラが勝利するまで更新されることはなかった。1981年シーズン、トイヴォネンは引き続きタルボから参戦したが、グループ2規定の後輪駆動車であるサンビーム・ロータスは、グループ4車両や4輪駆動のアウディ・クワトロに対して競争力を失っていた。トイヴォネンはラリー・ド・ポルトガルとラリー・サンレモで2位に入ったが、4度のリタイアを記録し、ドライバーズ選手権を7位で終えた。この年コンスタントに好成績を残したチームメイトのギ・フレクラン(英語版)とトイヴォネンの貢献により、タルボ・チームは1981年のマニファクチャラーズ選手権で予想外の優勝を果たした。
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