ソヴィエト時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 08:58 UTC 版)
戦後、学校教育を受けたポーランド人はポーランド人民共和国へと送られ、その結果ステファン・バートリ大学の元学生・元教授はポーランド国内の各大学で活動を続けた。お互いの関係が疎遠にならないように、教員全員がそのまま同じ大学に移ってくることもあった。1945年以降、数学者、人文科学者、生物学者の多くがトルン・ニコラウス・コペルニクス大学(トルン大学)へと移り、また医学者は新たに設立されたグダンスク医科大学の中心メンバーとなった。トルン大学は、ステファン・バートリ大学のポーランド文化の伝統を受け継いだ大学であるとみなされている。 1955年、大学の名称にリトアニア共産党創設者の一人であるヴィンツァス・カプスカス (Vincas Kapsukas) の名が冠されヴィリニュス国立ヴィンツァス・カプスカス記念大学(リトアニア語: Vilniaus valstybinis Vinco Kapsuko universitetas)となり、その後1971年には大学に労働赤旗勲章が送られ、さらに1979年に民族友好勲章が送られたため、その後1990年までの大学の正式名称はヴィリニュス労働赤旗勲章および民族友好勲章授与国立ヴィンツァス・カプスカス記念大学(リトアニア語: Vilniaus Raudonos darbo vėliavos ordino ir Tautų draugystės ordino valstybinis Vinco Kapsuko universitetas)であった。 ソヴィエト連邦の制度のもとで抑圧されていたものの、ヴィリニュス大学は発展を遂げ、またリトアニアのアイデンティティを育んでいった。1988年、グラスノスチ政策により、ヴィリニュス大学はソヴィエトのイデオロギーから離れ、自由な活動を始めた。
※この「ソヴィエト時代」の解説は、「ヴィリニュス大学」の解説の一部です。
「ソヴィエト時代」を含む「ヴィリニュス大学」の記事については、「ヴィリニュス大学」の概要を参照ください。
- ソヴィエト時代のページへのリンク