ソロ活動 - 最期
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1982年より1991年にかけてラジオ番組「パープルエクスプレス」においてギター講座を展開する。 輝け!ロック爆笑族において『I』に出演したつのだ☆ひろに対抗して、『II』でつのだ☆ひろが『I』で出演した同じスポットで出演した(つのだ☆ひろは『II』では審査員として出演)。バッハと大工のコスプレとジョーク、ギターをピアノに見立てた完璧な演奏と、ハンマーを用いてのハンマリング・オンを演奏するという技を見せた。 司会のきんた・ミーノは「俺たちはドキドキしますよね、まさかあの人が」と言って姿勢を正した。番組は審査員が採点する形式で、中にはギタリストも混じっていた(前述の窪田晴男)が、「文句を言える訳がない」とコメントしている。番組最後に出演したバンドの今後の日程が表示されたが、彼の番にはギター教室の講師と書かれていた。文化放送の「パープルエクスプレス」というギター講座番組では“ドクター・シーゲル”として出演し、このとき実際に成毛が弾いているエレクトリック・ギターの教則ビデオも発売された。 晩年の成毛は、フィンガーズ時代のドラムス朝吹誠、ゴールデン・カップスのマモル・マヌーなどと赤坂にあるエルカミーノというライブハウスでベンチャーズやシャドウズのナンバーを演奏し、時々来店していたノーキー・エドワーズが飛び入りで共演した。TICの名付け親であるフィンガーズ時代のベース斎藤茂一も呼んで自らが事務局役を担い、TICの同窓会兼演奏会を最期まで毎年主催した。2007年3月29日、大腸がんのため死去。
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