ゼンショーとすき家の起こり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 14:06 UTC 版)
「ゼンショー」の記事における「ゼンショーとすき家の起こり」の解説
1982年(昭和57年)6月にゼンショーとして神奈川県横浜市鶴見区で創業。創業時は横浜工場に本社を併設し、トタン張りの工場の一角に事務所を設けていた。 創業翌月の同年7月には、京浜工業地帯の労働者をターゲットに、持ち帰り弁当店「ランチボックス」1号店として生麦店を出店。店舗は京急本線生麦駅東口の国道15号(第一京浜道路)大黒町入口交差点にあった。 ところが、注文に応じ複数のおかずを作るオペレーションは手間もかかったこともあり、弁当店「ランチボックス」は経営不振となる。そのため吉野家出身であった創業者の小川賢太郎は牛丼店の出店を思いつき、「すき家」1号店として生麦駅前店を出店。これがヒットし、現在のゼンショーグループの礎となった。 のちに「ランチボックス」と「すき家生麦駅前店」は廃業し、本社も移転したため鶴見区の横浜工場と本社、すき家1号店は現存しない。本社と工場の建物は解体されマンションが建設された。「ランチボックス」の建物のみ現存し、ゼンショーグループとは無関係の居酒屋が居抜き出店している。 すき家の路面店(ロードサイド店舗)の外観デザインは、赤レンガ調の壁面で屋根には時計台が設置されている。これは横浜市開港記念会館の時計台と横浜赤レンガ倉庫をモチーフとしたもので、創業の地であり文明開化以来の牛肉食文化に縁の深い横浜を象徴したデザインとなっている。また「すき家」の店名は、文明開化により広く食されるようになった「すき焼き」と「好き」を掛けて命名したものである。 創業以来たびたび本社を移転しているが、2001年に東京都内へ本社を移転するまでは、本社や関連施設なども横浜市内に置いていた。
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