セントクリストファー総督とは? わかりやすく解説

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セントクリストファー総督 (1660年–66年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/03 08:54 UTC 版)

シャルル・ド・サル」の記事における「セントクリストファー総督 (1660年66年)」の解説

1660年にポワンシーが死去すると、聖ヨハネ騎士団シャルル・ド・サルを新総督任じた。彼は4月11日中将とセントクリストファー総督を拝命した。しかしこの頃騎士団未だ12エキュの4島購入費を支払い終えられていない中、フランス財務総監ジャン=バティスト・コルベールが4島を返還するよう騎士団圧力をかけていた。1665年騎士団フランスに4島を返還し、その管理権フランス西インド会社渡った1665年2月、ド・サルは改めフランス西インド会社からセントクリストファー総督に任命された。 この年3月第二次英蘭戦争勃発したそれに伴い1666年1月フランスイギリスの間で開戦に向かう空気が漂うなか、ド・サルはイギリス領セントクリストファー島総督ウィリアム・ワッツと協定結んだ。これは、どちらか一方英仏開戦情報受け取った時、即座に奇襲をかけることなく相手にもその情報知らせ3日の後に島内戦端を開く、というものだった。この協定確かなものとするために、ド・サルはイギリス植民地でもさらに上位総督フランシス・ウィロビーがいるバルバドス使者送ったが、ウィロビーは返答渋った。そして1666年1月フランスイギリス宣戦布告した

※この「セントクリストファー総督 (1660年–66年)」の解説は、「シャルル・ド・サル」の解説の一部です。
「セントクリストファー総督 (1660年–66年)」を含む「シャルル・ド・サル」の記事については、「シャルル・ド・サル」の概要を参照ください。

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