セネタースからツインズへ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 01:03 UTC 版)
「1960年のメジャーリーグベースボール」の記事における「セネタースからツインズへ」の解説
新規加盟球団にワシントン・セネタースがあるがこれはそれまでのセネタースとは全く違う新興球団で、1960年にまで存在したワシントン・セネタースはこの年10月26日のオーナー会議でミネアポリス=セントポールに本拠地移転することが正式に決まり、ミネソタ・ツインズとなった。もともとミネソタ州は野球が盛んで1900年アメリカンリーグに改名しメジャーリーグになる前のウエスタンリーグ時代にはミネアポリス・ミラーズとセントポール・セインツが加盟していた。1901年にアメリカンリーグの改組でセントポール・セインツはシカゴに移ってホワイトソックスとなり、ミラーズは消滅して、2年後の1902年にアメリカンアソシェーションに両都市とも加入して長い間ライバル球団の関係であった。後にミラーズはジャイアンツの傘下に、セインツはドジャースの傘下に入った。 やがて両都市は協力してメジャーリーグの誘致活動に本腰を入れ、セントルイス・ブラウンズとニューヨーク・ジャイアンツの誘致を積極的に行ったが、ボルチモアとサンフランシスコに破れた。そしてコンチネンタルリーグの第三リーグ構想に参加した後に、ワシントン・セネタースに的を絞って熱心な活動を行い、ようやく実現を見た。本拠地はミネアポリスとセントポールの中間にあるブルーミントンに建てられたメトロポリタンシタジアムで収容は3万人(後に4万人)で、ミシシッピ川を挟んで隣り合う都市なので、双子都市(ツイン・シティ)とも呼ばれ、球団名は都市名ではなく州名にしてミネソタ・ツインズと命名された。 移転直前のこの頃はハーモン・キルブルーがいて、やがてトニー・オリバ、ソイロ・ベルサイエスが加わり、5年後の1965年にリーグ優勝した。
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