スプリンターとしての評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 06:39 UTC 版)
「サクラバクシンオー」の記事における「スプリンターとしての評価」の解説
「マイル」と「スプリント」が曖昧だった1990年代にあって、スプリンターとしてはじめて「超一流」との評価を得、明確に「スプリントの王者」として現れた最初の馬であるとされる。当時はまだ春の短距離GI・高松宮記念は存在せず、日本馬の国外への遠征が活発化していくのも時代が下ってからであり、海外競馬評論家の合田直弘は「週刊Gallop」誌上で「6ハロンなら、当時、世界最強だったかもしれない」、ライターの谷川善久は「もう少し遅く生まれていれば、サクラバクシンオーはさらに多くの勲章を勝ち取っていたことだろう。速すぎた馬、そして早すぎた馬、といったところだろうか」と評している。なお、サクラバクシンオーの現役当時に唯一のスプリントGIであったスプリンターズステークスに限れば、これを連覇した馬は2012・13年の優勝馬ロードカナロアまで19年間現れなかった。 『優駿』が2012年に行った「距離別最強馬」アンケートでは、全6つのカテゴリーの中で唯一過半数の得票率を記録し、「1200メートル」でサクラバクシンオーが1位となった。合わせて競馬関係者を対象として行われたアンケートでは、17人のうち池江泰郎、池江泰寿、河内洋、国枝栄、小島太、四位洋文、鹿戸雄一、清水英克、田中勝春、中舘英二、松田国英、三浦皇成、矢作芳人の13名が1200メートルでサクラバクシンオーを選定し、ほかアナウンサーの杉本清、評論家の井崎脩五郎が同様の投票をした。このうち三浦と矢作は産駒に占めるスプリンターの多さにも言及している。産駒がデビューした1998年から、死の翌年である2012年7月までに産駒が中央競馬の1200メートル戦で挙げた勝利数は655に上り、同期間で2位のフジキセキ(312勝)に2倍以上の差を付けている。 小島太はサクラバクシンオーの競走能力について次のように評した。 4歳の秋に休養から帰ってきてから、一戦、一戦、上昇カーブを描いていったね。それで5歳の秋には、骨も固まって、まさに完璧になった。それまでに経験したことのない乗り味を持った、ちょっと怖い感じのする馬になっていたね。サクラショウリとか、チヨノオーとか、自分はたくさんいい馬に乗せてもらったけど、スプリンターズSを2連覇したときのサクラバクシンオーは、間違いなくその中でも最強だった。たぶん、あのとき世界中を探しても、バクシンオー以上のスプリンターはいなかっただろうね。
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