ステート・アマの時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 08:51 UTC 版)
「オリンピックのサッカー競技」の記事における「ステート・アマの時代」の解説
こうしたアマチュアとプロフェッショナルのギャップを突いてオリンピックでの強豪国として登場してきたのがソビエト連邦を初めとする共産主義国家、いわゆる「東側諸国」である。東側諸国では、報酬を国家から支給され競技に専念できる環境が整えられながらも、身分は国家公務員=アマチュアとして維持できるステート・アマという形態が常態化していた。そのため、プロを送り込めず「アマチュア選抜」で臨む西側諸国に対し、東側諸国はほぼA代表に等しい編成で代表チームを参加させることができた。こうした東側の国々が1952年から1980年まで、8つの金メダルを独占した。この間の東側以外の国は、デンマークが銀メダルを1回、スウェーデンと日本が銅メダルを1回ずつ獲得したのみであり、ほぼ全てのメダルを東側が独占的に手に入れる時代であった。東側諸国に有利なこの状況を打破するため、FIFAは1980年のモスクワオリンピックからワールドカップの予選もしくは本大会に出場した欧州と南米の選手は五輪に出場できないことにしたが、ソ連のアフガニスタン侵攻に反発した西側諸国がモスクワオリンピックをボイコットしたため東側諸国の優位が続いた。結果的に各国のオリンピック代表チームは非常に若い年代で構成されたチーム編成となり、後の年代別代表の一環としてのオリンピック代表の原型が形作られた。
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