スイッチバック構造時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 05:50 UTC 版)
以前は2面2線の相対式ホームを有していた(ただし通常は現駅舎側の2番線のみを使用していた)。2面2線時代はホームの途中に分岐器が設置されており、平坦な場所にあるホームに3両編成の列車を入れるために、駅の奥にある県道の踏切を乗り越え、かつ約200mの延長線を走ってからスイッチバックをして入線するという珍しい駅だった。これは、駅が40‰の勾配を登りきった場所に位置しており、信州中野方へ平坦な場所でホームを延長することが困難であった。また、そのままでは駅の奥にある県道の踏切に先頭車がかかったためである。なお、2両編成ならそのまま入線しても全長がホームにかかったためスイッチバックは行われなかった。 2006年に行われた大規模改修工事(期間中は区間運休となりバスで代行輸送)により、このスイッチバックは解消された。また、ホームは現在の構造となり、駅の奥の踏切と約200mの延長線も廃止された。スイッチバック廃止の理由は、同年12月9日に営業運転を開始した1000系電車の運転席が客室上部に位置する構造のため、運転士の移動に時間がかかり、スイッチバック方式の駅への乗り入れが困難であったからである。 改良前の2番線に停車する2000系(2006年5月)
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