ジャワ王朝の影響(11世紀 - 16世紀)
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「バリ島」の記事における「ジャワ王朝の影響(11世紀 - 16世紀)」の解説
11世紀に入るとバリ島の王朝は東ジャワのクディリ王国とのつながりを強めるようになる。スバックなど21世紀初頭でも続いている伝統的な文化・慣習の起源は少なくともこのころにまでさかのぼることができ、たとえばカヤンガン・ティガや家寺院の建立は、このころにジャワから渡ったヒンドゥーの僧侶クトゥランが広めた慣行とされている。1248年には、クディリ王国を滅ぼしたジャワのシンガサリ王国クルタナガラ王の軍隊によって征服され服属するも、その8年後には、当のシンガサリ王国が新王国マジャパヒトによって滅ぼされたために、再び自由を手にする。 しかし1342年、今度はマジャパヒト王国に侵攻され、ついに400年近く続いたワルマデワ王朝は終焉を迎える。マジャパヒト王国は、クディリ王国末裔ムプ・クレスナ・クパキサンの第四子スリ・クトゥット・クレスナ・クパキサンを遣わしゲルゲル王国を築かせ、バリ島はマジャパヒト王国の間接的な支配下に置かれることとなったのである。 しかし、16世紀にマジャパヒト王国がイスラム勢力の侵入により衰亡すると、王国の廷臣、僧侶、工芸師たちがバリに逃れてくるようになる。そして、彼らの影響によって、古典文学や影絵芝居、音楽や彫刻などヒンドゥー・ジャワの影響を受けた文化が花開いた。さらには、ジャワから渡来したヒンドゥーの高僧ダン・ヒャン・ニラルタがタナロット寺院やウルワツ寺院など数々の寺院を建立するなど、宗教面での発展も見られた。
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