ジャパン・レコード - キャニオン・レコード時代
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「ムーンライダーズ」の記事における「ジャパン・レコード - キャニオン・レコード時代」の解説
1981年、ジャパン・レコードへ移籍。移籍第1弾アルバム『MANIA MANIERA』は全編にコンピュータを取り入れ、またドラム等の楽器をパーツごとに別々に録音するなど、実験的なレコーディングが試みられ、テクノ・ミュージックやニュー・ウェイヴの頂点ともいうべき作品に仕上がっている。しかし、経費が高額となりレコード会社から「難解すぎる」「これでは売れない」と評されたため、メンバー自ら発売中止を決定した。直後、次作『青空百景』のレコーディングを開始。『MANIA MANIERA』は、当時まったく普及していなかったCDで発売(後に1984年にカセットブック、1986年にキャニオン・レコードよりLPが発売)された。 以来、RVC、キャニオン・レコードへ移籍しながらコンスタントにアルバムを発表した。その後、1986年11月21日の『DON'T TRUST OVER THIRTY』発表後、結成10周年記念として行われた、東京・恵比寿ファクトリー(東京都渋谷区:現在は閉鎖)でのライブの影響や、鈴木慶一の耳などの病気により5年間にわたって活動を停止。メンバーは任天堂のゲームソフト「MOTHER」の音楽制作(鈴木慶一の作品)や音楽プロデュース、ソロアルバムの制作など活発なソロ活動を展開していた。
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