ジプシー・メジャーの誕生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/07 05:27 UTC 版)
「デ・ハビランド ジプシー」の記事における「ジプシー・メジャーの誕生」の解説
詳細は「デ・ハビランド ジプシー・メジャー」を参照 ジプシーは優れたエンジンであったが、1つ大きな欠点があった。正立エンジンだったため、クランク・シャフトの上にあるシリンダー・ブロックが胴体上部から突き出てパイロットの視界を妨げていた。クランク・シャフトはプロペラに直接接続されるため、ハードランディングしたときや不整地でプロペラが地面に接触して破損しないようにする都合上、エンジンの位置を下げることもできなかった。解決策は、一部のパイロットが「キャブレターと燃料タンクがさかさまにさえならなければ、モスで背面飛行できる」と自慢していたことからもたらされた。この言葉を聞いたハルフォードは、ジプシーを倒立させたうえで、キャブレターを反転(倒立させたものを反転させているので、キャブレターは正立)させてテストすることにした。これは正立時と同様に完璧に動作したので、ジプシーIとIIの生産ラインはすぐさま倒立4気筒エンジンのジプシーIIIの生産ラインに切り替えられた。ジプシーIIIを搭載した機体はDH.60G-IIIとなったが、ジプシーIIIはまもなくジプシー・メジャーに発展したため、DH60G-IIIはモス・メジャーと呼ばれるようになった。 DH.60の成功により、デ・ハビランド・エアクラフトは新たなスポーツ航空機と練習機の生産にも取り組むようになり、その機体にはすべて自社のジプシーシリーズが搭載された。さらには他の航空機メーカー向けにもジプシーを製造するようになり、特にジプシー・メジャーはイギリスのみならず海外の多くの軽飛行機で選定されるエンジンとなった。その中で特に注目すべき機体は、第二次世界大戦中に練習機として数多のパイロットを育てたDH.82 タイガー・モスである。
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