ジプシー・アイズ - ストロベリー・パス - フライド・エッグ
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「成毛滋」の記事における「ジプシー・アイズ - ストロベリー・パス - フライド・エッグ」の解説
1970年、当時ザ・ゴールデン・カップスに在籍していた柳ジョージと渡辺貞夫カルテット、フード・ブレインに在籍していた角田ヒロとともに「ジプシー・アイズ」を結成。学園祭や日比谷野外音楽堂などでステージに臨んでいた。 このバンド、基本的にはギタートリオであったものの、その場にいたミュージシャンを加えて4人、ないしはそれ以上の人数で演奏することもあった。そのミュージシャンたちのなかにはミッキー吉野(のちにゴダイゴを結成)や柳田ヒロ(元エイプリル・フール〜フード・ブレイン)がいた。 当時としては驚異的な演奏技術を持っていた彼らは、他のミュージシャンたちからも注目を集めていたが、柳はカップス、角田は渡辺貞夫カルテットの活動も並行して行っていたため、このバンドの活動自体も不安定なものであった。また、あまりの人気のため、同じステージにブッキングするバンドが直前にキャンセルするという事態が起こり始め、ライブの主催者側から敬遠されるようになった。さらに、柳の活動が忙しくなったために成毛と角田の二人で演奏することが多くなり、これがストロベリー・パスへと発展した。 本格的に活動を開始したストロベリー・パスは、ライブ活動と並行してアルバムの制作を行い、1971年6月25日に『大烏が地球にやってきた日』をリリース。このとき成毛は左手でギター、右手でキーボード、足でキーボードのフットペダルを使いベースラインを弾いていた。また、ピンク・フロイド初来日となった伝説のイベントである「箱根アフロディーテ」にも日本勢としてモップスらとともに出演。その際に臨時のベーシストとして迎えたのが当時17歳であった高中正義である。そのステージの1ヵ月後、その高中が正式に加入し、フライド・エッグへと発展。
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