ジフテリア研究
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/25 19:35 UTC 版)
「アンナ・ウェッセルズ・ウィリアムズ」の記事における「ジフテリア研究」の解説
ニューヨーク市保健局がコレラの流行に対応してアメリカ初の市営の診断研究所を創設すると、その1年後の1894年、ウィリアムズは同所で無給労働者として働き始める。ウィリアム・H・パーク所長が取り組んでいたジフテリア・プロジェクトに密接に協力した最初の年に、ジフテリアの抗毒素 (1890年発見) の大量生産に使用できる菌株の分離に成功する。この重要な発見は抗毒素の入手の道を大幅に広げコスト削減につながり、この重病の制御に役立った。ウィリアムズの発見から1年を待たず、抗毒素の膨大な需要に対応するため、ワクチンはアメリカとイギリスの医師に無償で提供された。ウィリアムズには常勤職員の座が用意され、細菌学副主任に任命された。ウィリアムズによる発見はパークの不在時だったが、実験室の成果は本質的に共同名義であったため、この菌株の命名は研究者両名にちなんで「パーク・ウィリアムズ8号株」とされたものの、まもなく便宜的に短縮されて「パーク8号株」と呼ばれるようになる。同様の立場にある人には珍しく、ウィリアムズは自分の名前が付くかどうかあまり重要視せず、「このような形でパーク博士と私の名前が結びつき光栄」だと述べた。この菌株は2000年代に入っても基礎研究に用いられている。
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