ジノ・ブリットとは? わかりやすく解説

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ジノ・ブリット

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/08 05:04 UTC 版)

ジノ・ブリット
1976年
プロフィール
リングネーム ジノ・ブリット
ルイ・セルダン
本名 ルイージ・ジノ・アコセラ
身長 178cm - 179cm
体重 107kg - 110kg
誕生日 (1941-05-18) 1941年5月18日(83歳)
出身地 カナダ
ケベック州
モントリオール
トレーナー ジャック・ブリットン
ジョージ・キャノン
デビュー 1958年[1]
引退 1984年[1]
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ジノ・ブリットGino Brito、本名:Louis Gino Acocella1941年5月18日 - )は、カナダケベック州モントリオール出身の元プロレスラー

ルイ・セルダンLouis Cerdan)のリングネームでも知られ、イタリアおよびフランス系の出自を持つベビーフェイスとして、地元のモントリオールやWWWF(WWF)を主戦場に活躍した[2]

父親はミゼットプロレスのプロモーターでもあったプロレスラーのジャック・ブリットン[2]。息子のジノ・ブリット・ジュニアも短期間ながらプロレスラーとして活動していた[3][4]

来歴

1958年[1]、当時の居住先だったオンタリオ州ウィンザーにてデビュー[3]ジノ・ブリットリングネームに、1960年代初頭はアントニオ・プリエーゼ(トニー・パリシ)とのイタリア系タッグチームデトロイトテネシーなどアメリカ各地を転戦した[3]

1963年ニューヨークWWWFに進出したが、当時のWWWFは世界ヘビー級王者ブルーノ・サンマルチノをはじめ、イリオ・デ・パオロ、ドミニク・デヌーチルー・アルバーノなどイタリア系の選手が大勢いたため、1966年頃よりルイ・セルダンの別名義を用いフランス系カナダ人のキャラクターとなって活動[3]エドワード・カーペンティアのパートナーにも起用され、ビル・ミラージョニー・バレンタインキング・イヤウケアブル・ラモスワルドー・フォン・エリックバロン・シクルナブルドッグ・ブラワーなどの大物ヒールと対戦した[5]1968年7月にはジノ・ブリット名義で日本プロレスの『第1次サマー・シリーズ』に初来日、後半戦に特別参加したブルーノ・サンマルチノやレイ・スティーブンスと組んでメインイベントにも出場した[6]

1970年代前半はカナダを拠点に活動。ノバスコシアニューブランズウィックなど大西洋岸マリタイム地区を本拠地とするイースタン・スポーツ・アソシエーションではパット・オコーナーレオ・バークと北米ヘビー級王座を争い[7]、モントリオールのIWAではジャック・ルージョー・シニアとのコンビでクルト・フォン・ヘス&カール・フォン・ショッツと抗争した。

1974年よりWWWFに復帰し、旧友トニー・パリシと組んで1975年11月8日にザ・ブラックジャックスブラックジャック・マリガン&ブラックジャック・ランザ)からWWWF世界タッグ王座を奪取する[8][9]。以後、イワン・コロフ&スーパースター・ビリー・グラハムなどのチームを相手に防衛を続け[10][11]1976年5月11日にジ・エクスキューショナーズ(キラー・コワルスキー&ビッグ・ジョン・スタッド)に敗れるまで戴冠した[8][9]

以降もWWWF(WWF)に出場する一方、アンドレ・ザ・ジャイアントのマネージャーだったフランク・バロアらと共に、IWAの後継団体であるインターナショナル・レスリングLutte Internationale)をモントリオールにて運営[3]。選手としても1982年から1983年にかけて、トニー・パリシとのコンビでセーラー・ホワイトパット・パターソンらのチームを相手にカナディアン・インターナショナル・タッグ王座を争った[12]。1982年にはWWFインターナショナル・ヘビー級王座の新王者となるが(トニー・パリシを破り戴冠したとされる)、8月30日にマディソン・スクエア・ガーデンにて新日本プロレス藤波辰巳に敗れ、タイトルを明け渡している[13]

インターナショナル・レスリングはマリタイムからオンタリオまでテレビ放送が行われ、一時は1万人を超える観客動員にも成功したが[14]ディノ・ブラボーリック・マーテルなどのスター選手のWWF移籍により1987年に活動を停止[4]。以降、ブリットはWWFのモントリオール地区におけるプロモーターに転じた[3]

2003年からは新団体のCPWCanadian Professional Wrestling)をケベックにて主宰し、アブドーラ・ザ・ブッチャーピエール・カール・ウエレなどを招聘して興行を開催[15]2004年10月には自身も6人タッグマッチに出場した[16]

2019年マッドドッグ・バション&ブッチャー・バションのドキュメンタリー映画 "Mad Dog & The Butcher" に声のみ出演した[17]

獲得タイトル

WWWF / WWF
グランプリ・レスリング
インターナショナル・レスリング
  • カナディアン・インターナショナル・タッグ王座:4回(w / リック・マグロー、トニー・パリシ×3)[12]
イースタン・スポーツ・アソシエーション
  • ESA北米ヘビー級王座:1回[7]

脚注

  1. ^ a b c Gino Brito”. Cagematch.net. 2012年3月4日閲覧。
  2. ^ a b Gino Brito”. Online World of Wrestling. 2020年7月2日閲覧。
  3. ^ a b c d e f Gino Brito’s career meant family, Italian Connections and midgets”. SLAM! Sports (July 14, 2011). 2012年3月4日閲覧。
  4. ^ a b Gino Brito”. Canadian Pro Wrestling Page of Fame. 2012年3月4日閲覧。
  5. ^ WWE Yearly Results 1966”. The History of WWE. 2012年3月4日閲覧。
  6. ^ JWA 1968 Summer Series 1”. Puroresu.com. 2015年11月6日閲覧。
  7. ^ a b North American Heavyweight Title: Maritimes version”. Wrestling-Titles.com. 2012年3月4日閲覧。
  8. ^ a b c History of the WWE World Tag Team Championship”. WWE.com. 2012年3月4日閲覧。
  9. ^ a b c WWWF-WWF-WWE World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2012年3月4日閲覧。
  10. ^ WWE Yearly Results 1975”. The History of WWE. 2012年3月4日閲覧。
  11. ^ WWE Yearly Results 1976”. The History of WWE. 2012年3月4日閲覧。
  12. ^ a b International Tag Team Title: Montreal version”. Wrestling-Titles.com. 2012年3月4日閲覧。
  13. ^ a b WWF International Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2012年3月4日閲覧。
  14. ^ CPW secures PPV deal”. SLAM! Sports (November 12, 2004). 2012年3月4日閲覧。
  15. ^ CPW celebrates in style”. SLAM! Sports (November 5, 2003). 2012年3月4日閲覧。
  16. ^ Gino Brito returns to the ring”. SLAM! Sports (October 22, 2004). 2012年3月4日閲覧。
  17. ^ Mad Dog & The Butcher”. IMDb. 2024年2月12日閲覧。
  18. ^ Grand Prix Wrestling Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年4月19日閲覧。

外部リンク



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