ジェームズタウンに向けた第1および第2補給任務
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「クリストファー・ニューポート」の記事における「ジェームズタウンに向けた第1および第2補給任務」の解説
1607年、「ジェームズ川」と名付けた川を遡る最初の探検を率い、ポウハタン族の酋長、パラハントと初めて出会った。ニューポートは当初パラハントが「最高位の酋長」(そんなものは存在しない)であるポウハタン酋長、すなわちワフンスナコックだと誤解した。 ニューポートはインディアンの社会もイギリスと同じく君主制だと思い込み、パラハントやワフンスナコックを部族の「王」か「首長」だと思い込んだ。ニューポートは植民地を拡大するためにインディアンを懐柔しようと考えた。このため、ポウハタン酋長を「最高位にある王」だろうと思い込み、もったいぶったセレモニーを開き、ワフンスナコックに儀礼用の王冠を被らせ、インディアンの友好を得るために多くのヨーロッパからの贈り物を贈呈した。この茶番も、ポウハタン族との友好が小さなジェームズタウン植民地の存続に不可欠であると判断したニューポートの政治的アイディアだったのである。 1607年6月、ジェームズタウンでの最初の砦が完成してから1週間後、ニューポートはスーザン・コンスタント号に黄鉄鉱(愚か者の金)や他の貴重と思われる鉱物を積んでロンドンに帰った。後には104人の入植者と彼らに使わせる為にちっぽけなディスカバリー号が残された。 ニューポートは続く18か月間の間に2回、イギリスから補給物資を持ってジェームズタウンを訪れた。これらは第1および第2補給任務と呼ばれている。作物を育てインディアンたちとも交易するという初期の意図はあったが、なんとか生き残っている入植者達は補給物資に依存するようになった。 このジェームズタウンへのイギリス人上陸をきっかけに、続々と入植白人の侵略が始まり、白人たちがインディアンの土地を蚕食していったことで、その後37年間ほとんど絶え間のない紛争に繋がっていく。
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