シャネルでの復活劇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/09 08:04 UTC 版)
「カール・ラガーフェルド」の記事における「シャネルでの復活劇」の解説
カール・ラガーフェルドはデザイナーとしてシャネルを再興したが、老舗メゾン再興という事例はそれ以前には一般的ではなかった。 創業者ココ・シャネルが1971年に亡くなって以降ブランドとしてのシャネルは低迷していた。「シャネルは墓に戻る」とまで言われた経営状態を立て直すためにカールにデザイナー職のオファーがなされたが、その当時、低迷したブランドを再興するという考えは一般的ではなく、カールは多くの友人からその契約を結ぶべきではないと忠告された。結局シャネルからの2度目のオファーをうけたカールは、83年のオートクチュール、続く84年からはプレタポルテ(既製服)と協業を開始。結果としてコレクションは高い評価を得て、なおかつ販売・話題性も回復した。こうしたシャネルとカールの関係は、彼が亡くなるときまであり、後任には長年カールの右腕でとして働いてきたヴィルジニー・ヴィアールが即座に就任した(それ以前のシャネルでの役職はクリエイティブ・スタジオ・ディレクター)。 カールによるブランド復活劇は、老舗ブランドを気鋭のデザイナーの手によって再興させるという手法として、多くのブランドによって模倣された。例えばベルナール・アルノーは買収したクリスチャン・ディオールにおいてジャンフランコ・フェレを89年に新たなデザイナーとして迎えた。また、グッチにおいても90年にトム・フォードをデザイナーとして迎えることでブランドの再興を果たしている。
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