シドニー五輪出場とは? わかりやすく解説

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シドニー五輪出場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/27 14:31 UTC 版)

弘山晴美」の記事における「シドニー五輪出場」の解説

2000年9月開催シドニー五輪女子マラソン代表選考レースだった、同年1月大阪国際女子マラソンでは、序盤から積極的に集団引っ張り終盤の37Km過ぎに弘山自らスパート仕掛け、40Km地点ではリディア・シモンらに11秒の差をつけて、勝負あったかに見えた。しかしシモンここから驚異的な追い上げ見せて長居陸上競技場に入る直前ゴール残り500m付近で、弘山はシモン追いつかれ逆転されてしまう。結果弘山は2時間2256秒でゴール世界歴代9位(当時)・日本歴代3位当時)の好記録ゴールしながらも、優勝したシモンにわずか2秒差で2位敗れた注目されシドニー五輪女子マラソン選考は、既に市橋有里昨年世界陸上セビリア大会で銀メダル獲得内定済み、代表に選出され東京優勝山口衛里名古屋優勝高橋尚子より、弘山は順位タイム劣っていた為、無念落選となった補欠は弘山ではなく小幡佳代子)。 五輪女子マラソン代表落選時の弘山は、夫の勉コーチと共に夫妻二人揃って気丈に記者会見に応じていたが、内心落選ショックはかなり大きかった、という。それでも弘山はめげずに、一旦は五輪内定辞退していた長距離トラック種目での五輪代表を目指す事となった。そして選考レース水戸国際陸上大会で優勝し晴れてシドニー五輪女子10000m代表に選出される。夫の勉コーチは思わず感涙、その光景もらい泣きする陸上ファン多かった。そのシドニー五輪10000mレース本番は、予選では余裕通過したものの、決勝では超高速ペースについていけずレース後半周回遅れとなり、最下位20位に終わる。しかし弘山は「色々な事が有った中、五輪舞台出場する事が出来て良かった」と、サバサバした表情語っていた。

※この「シドニー五輪出場」の解説は、「弘山晴美」の解説の一部です。
「シドニー五輪出場」を含む「弘山晴美」の記事については、「弘山晴美」の概要を参照ください。

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