シェルバーン伯派を率いる
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「ウィリアム・ペティ (第2代シェルバーン伯)」の記事における「シェルバーン伯派を率いる」の解説
1778年5月に大ピットが死ぬとその派閥を継承した。大ピットと同じくアメリカ独立に反対した。これに対して第2代ロッキンガム侯爵チャールズ・ワトソン=ウェントワース率いる野党派閥は、アメリカ独立に前向きであり、両派閥は同じ野党でありながら対立を深めた。 また議会外民衆による議会改革運動についてもロッキンガム侯が冷淡な態度をとったのに対して、シェルバーン伯は「有効な議会刺激策」と評して好意的な態度をとった。この件を巡っても両派閥は鋭く対立し、ロッキンガム派はシェルバーン派を「空想的・幻想的理念に浸って、現実的な改革を水泡に帰せしめている」と批判し、他方シェルバーン派はロッキンガム派を「宮廷政府に抵抗できる民衆世論の自由な展開を頑固に阻止している」と批判していた。 1780年4月にはシェルバーン派に属する議員ジョン・ダニング(後の初代アシュバートン男爵)が君主権力の制限を求めるダニング動議を提出し、可決されたが、その請願が受け入れられない限り解散総選挙は認めないとする動議は政府の中立派議員取り込みの多数派工作や両野党の分裂状態のために可決されなかった。この野党の分裂状態はノース卿内閣の政権維持に資していた。
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