ザ・ストゥージズの復活
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/07 04:19 UTC 版)
「ジェームズ・ウィリアムソン」の記事における「ザ・ストゥージズの復活」の解説
ザ・ストゥージズ解散後の1971年9月、ダニー・フィールズ(英語版)経由でイギーはデヴィッド・ボウイと会い、彼の所属事務所メインマンに誘われた。イギーは誘いを受けて事務所と契約し、その結果、コロムビアから2枚のアルバムレコーディング契約を手に入れることになった。 翌1972年3月に、メインマンを仕切っていたマネージャー、トニー・デフリーズ(英語版)がイギーをロンドンに連れて行き、バックバンドを探すように指示した。イギーはまず作曲パートナーとしてウィリアムソンをロンドンに呼び、2人でバックバンドを探すことになった。当初、事務所側からはピンク・フェアリーズ(英語版)とのコラボレーションを提案されたが2人は断り、メンバーオーディションを開始したものの、当時のイギリスを席巻していたグラムロックブームの中では彼らが求めるようなメンバーが見つからず、最終的にウィリアムソンの提案でロン・アシュトンとスコット・アシュトンを呼び戻すことに決めた。 今もはっきりと覚えているのは、ジム(イギー)と一緒にテレビを見ながら、彼に向かって身を乗り出して言ったことだ。「知ってるか?ロン・アシュトンはいいベースプレーヤーだ」私が彼と初めて会った時、チョウズン・フューでベースを弾いていたからね。「そして、彼の弟は素晴らしいドラマーだ。だから息の合ったプレイができる。何で俺らはリズムセクションを探しているんだ?彼らに電話して呼び出せばいいだけじゃないのか?」そしてイギーも賛成した。 全く新しいミュージシャンとのコラボレーションを考えていたイギーの当初構想とは異なることになったが、ロン・アシュトンがリードギタリストからベーシストへの転向を受け入れたため、結果的にザ・ストゥージズが再結成されることになった。ただし、事務所はイギーをメインに据えることにこだわったため、この時の正式なバンド名は「イギー&ザ・ストゥージズ」とされ、このメンバーで製作されたサードアルバム『ロー・パワー』でもそのようにクレジットされている。
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