ザイン=ヴィトゲンシュタイン=ルートヴィヒスブルク家
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ザイン=ヴィトゲンシュタイン=ザイン家の家名を称したもう一つの系統は、ルートヴィヒ・フランツ2世伯(1694年 - 1750年)を始祖とし、ザイン=ヴィトゲンシュタイン=ベルレブルク家(Sayn-Wittgenstein-Berleburg)から18世紀前半に枝分かれしたザイン=ヴィトゲンシュタイン=ルートヴィヒスブルク家(Sayn-Wittgenstein-Ludwigsburg)である。 ルートヴィヒ・フランツ2世の孫息子ペーター/ピョートル・フリスティアノヴィチ・ヴィトゲンシュテイン(1769年 - 1843年)はロシア帝国に将軍として仕え、ナポレオン戦争での指揮官としての功労を認められて陸軍元帥となった。1834年にはプロイセン王国のザイン=ヴィトゲンシュタイン侯(Fürst zu Sayn-Wittgenstein[-Ludwigsburg])に陞爵している。 ピョートルの息子のうち、長男ルートヴィヒ/レフ・ペトロヴィチ・ヴィトゲンシュテイン(1799年 - 1866年)は1828年、当時の全欧州で最も裕福な個人資産を有する女子相続人ステファニア・ラジヴィウ(1809年 - 1832年)を最初の妻に迎え、欧州一の富豪となった(その後、その財産は娘婿のホーエンローエ=シリングスフュルスト侯クロートヴィヒが相続した)。レフは1861年、ザイン=ヴィトゲンシュタイン=ザイン侯(Fürst zu Sayn-Wittgenstein-Sayn)の称号を授けられ、ルートヴィヒスブルク系統はこれ以後ザイン=ヴィトゲンシュタイン=ザインを家名とした。 またピョートルの末息子ニコラウス/ニコライ(1812年 - 1864年)の最初の妻カロリーネ(1819年 - 1887年)は、作曲家フランツ・リストの愛人として有名である。 レフ・ペトロヴィチの曾孫で家督を継いだルートヴィヒ(1915年 - 1962年)の弟ハインリヒは、第2次世界大戦期のドイツ空軍でエース・パイロットとして活躍した。現在の家長はルートヴィヒの長男アレクサンダー(1943年 - )で、彼は文化遺産保護団体ヨーロッパ・ノストラ連盟の副会長を務めている。
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