サー・ヘンリー・ネヴィル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 01:56 UTC 版)
「シェイクスピア別人説」の記事における「サー・ヘンリー・ネヴィル」の解説
21世紀に入ってからも新たな候補者が現れた。シェイクスピアの遠い親戚に当たる同時代の外交官、ヘンリー・ネヴィル(Henry Neville、1562年 - 1615年)である。プリマス大学(University of Portsmouth)の非常勤講師ブレンダ・ジェームズとウェールズ大学アベリストウィス校(University of Wales)教授ウィリアム・ルビンシュタインによる共著"The Truth Will Out"(2005年)において提唱された学説で、ネヴィルの経歴を調べてみると、多くの戯曲の書かれた時期に、作中の舞台となる場所をネヴィルが訪れていること、ネヴィルの生涯と作中の事件に暗合が見られることなどがその論拠である。 ネヴィルは1599年にフランス大使を務めていることから、同じ時期に書かれた『ヘンリー五世』にフランス語が頻出している事実と符合する。外交官であれば、シェイクスピアに備わっていたはずのない外国語や宮廷に関する知識を持っていたことは明らかである。他にもネヴィルは諸外国を公務で訪れているが、ウィーン(『尺には尺を』)やヴェローナ(『ロミオとジュリエット』『ヴェローナの二紳士』)、デンマーク(『ハムレット』)など、シェイクスピア作品の舞台となった国が多い。 特にジェームズとルビンシュタインが強調するのは、シェイクスピアの史劇は密かに前王朝のプランタジネット朝を支持するものだという点である。ネヴィルは、1601年に第2代エセックス伯ロバート・デヴルーが企てたクーデターに連座したため、ロンドン塔に幽閉されている。作風が重くなっていった時期と一致しており、当時の現体制であるテューダー朝に忠実なものでないことにも説明がつく。そもそもネヴィルはプランタジネット朝の血を引いており、その上政治犯とあっては著者として表に名を出す訳にいかなくなったため、遠い親戚のシェイクスピアに名前を借りて作品を発表していたのだという説である。またジェームズとルビンシュタインは、ロンドン塔幽閉中にネヴィルが記した文書の内容が『ヘンリー八世』の中で使用されている、また計量文献学による両者の文体比較から、シェイクスピアとネヴィルの文体や語彙、特殊語の使用頻度などには類縁性が見られるとも主張している。
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