サ・イーラ及びサンスール対キャプテン及びベッドフォード
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/12/11 04:42 UTC 版)
「ジェノヴァの海戦」の記事における「サ・イーラ及びサンスール対キャプテン及びベッドフォード」の解説
戦闘はその日のうちに終わり、マルタンは120門艦の「サンキュロット」からフリゲートの「フリポンヌ」に移った。これは、1794年6月12日の議事規則の、提督は戦闘中は提督旗をフリゲートに掲げるという項の適用によるものだった。その夜、管理上の不注意または事故により、「サンキュロット」と艦隊との連絡が取れなくなり、「サンキュロット」はその後の戦闘に加われなくなって、フランス艦隊唯一の三層軍艦が艦隊からいなくなった 。夜が明けるまでの間に、今やマストのない艦となった「サ・イーラ」を曳航する役目が、ヴェスタールからサンスール(英語版)に移り、夜が明けて、なおもフランス艦隊はZ字に進んでいるのが明らかになった。そして艦隊の後ろでは、サ・イーラとサンスールが孤立していた。イギリス艦隊は風上にあって有利に艦を進め、遅れ気味の2隻のフランス艦を監視していた。ホサムは74門艦「キャプテン」と「ベッドフォード」に信号を送った、それは、この2隻に近づいて攻撃するようにというものだった。風上から風下へと急行した「キャプテン」と「ベッドフォード」は、2隻のフランス艦を1時間15分に渡って叩きのめした。この間「キャプテン」はどうにか敵艦の側面射撃を耐え抜いた後、舷側を方向転換させたが、その結果帆と艤装、支索に大きな損害を受けた。「キャプテン」は信号を送って、戦闘の場から牽引してくれるように頼み、少し後に「ベッドフォード」も帆と偽装がひどく切断されるという損害を受けた。「キャプテン」では3人が戦死し、9人が負傷したがうち2人は致命傷だった。「ベッドフォード」では7人が戦死、負傷が18人だった。
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