サントリーサンゴリアスの創設者とは? わかりやすく解説

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サントリーサンゴリアスの創設者

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/23 12:52 UTC 版)

大塚卓夫」の記事における「サントリーサンゴリアスの創設者」の解説

大学卒業後、壽屋(後のサントリー)に入社入社2年目1954年北海道国体大阪府代表選手としてプレーしたが、それを契機ラグビーとは決別した。ところが1970年代のとある年、当時サントリー常務で、東京大学ラグビー部出身平木英一役員会議でサントリーラグビー部創設しようという話をもちかけたことがきっかけとなり、後にサントリーでもラグビー携わることになった。もっとも当初当時取締役東京支店長だった大塚は、『1万規模工場持っていて、終業ベル鳴った10分、15分ジャージ着替えた選手敷地内グラウンド出てくるようなところしか、強くなれないスポーツです。』と述べラグビー部創設反対していたが、当時の社長佐治敬三の、『やってみなはれ』と発した鶴の一声」により、サントリーラグビー部が創部されることになり、大塚がその責任者任されることになった創部にあたり大塚は、小林忠郎(関東ラグビーフットボール協会名誉会長)、白井善三郎岡仁詩アドバイス仰ぎ監督に、元日本代選手山本巌招聘。また創部前に、既にサントリー社内にはラグビー同好会存在していた上に、浜本剛志慶應出身)、松尾尚城(早稲田出身)という、大学時代著名な活躍をした選手社内にいたこともあり、浜本松尾よりも1年早く入社した慶應出身稲垣純一主将据え1980年、後のサントリーサンゴリアスとなる、サントリーラグビー部が誕生し大塚部長担当役員総監となった創部当初は、専修大学から小西義光(日本代表選手)が入部する一方で当時慢性的な部員不足だったこともあり、アメリカンフットボール部バレーボール部選手助っ人借り出したこともあった。しかしその後本城和彦吉野俊郎などのスタープレーヤー相次いで入部したこともあり、サントリー社会人ラグビー屈指の強豪チームとなっていった。 一方大塚は、1993年サントリーフーズ社長に就任した時点で、サントリーラグビー部とは縁が切れた。しかし、サントリーフーズでも同好会を部に格上げする形でラグビー部結成尽力。現在、同チームサントリーフーズサンデルフィスとして活動している。

※この「サントリーサンゴリアスの創設者」の解説は、「大塚卓夫」の解説の一部です。
「サントリーサンゴリアスの創設者」を含む「大塚卓夫」の記事については、「大塚卓夫」の概要を参照ください。

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