サラヴァト時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 07:05 UTC 版)
「アレクサンドル・ラドゥーロフ」の記事における「サラヴァト時代」の解説
2008年7月11日にプレデターズとの契約が残っていたが、KHLのサラヴァト・ユラーエフ・ウファと契約した。この移籍はNHLとKHLの間で大きな騒動となった。以前からプレデターズにロシアでプレーしたいという希望を伝えており、よりよい条件を提示されていることも話していた。契約発表後、プレデターズとNHLそして国際アイスホッケー連盟(IIHF)は直ちに声明を発表し、「ラドゥーロフとプレデターズの契約は2008-2009年のシーズンを通した契約なので、ロシアのチームと契約することは、選手の現行の契約を尊重するというNHLとIIHFの間で前日(2008年7月10日)に形成された合意に違反する」ことを強調した。 IIHFがサラヴァトにラドゥーロフの契約を無効にするよう求めた後、KHLの副会長イリヤ・コチェブリンは「ラドゥーロフがサインをしたのは7月5日であり、(NHLとIIHFの)7月10日の合意形成よりも前である」と反論。プレデターズの契約が係争中の一方で、IIHFは7月18日に捜査継続のままラドゥーロフを国際試合に出場停止とした。ラドゥーロフを出場停止にする法的な根拠はないことが判明したため、出場停止処分はすぐに取り下げられた。9月1日、プレデターズはラドゥーロフにチーム復帰の意思表示をする締め切り日を与え、9月2日に2008-2009年のシーズンの給与を払わないまま出場停止とした。 2008-2009年シーズンは46ポイント(22ゴール24アシスト)を記録した。2009年には世界選手権でカナダ代表との決勝戦では勝ち越し点を決めるなど、2回目の優勝を成し遂げた。。またU-20世界選手権、ジュニア世界選手権、メモリアルカップでは準優勝した。 2009-2010年シーズンは63ポイント(24ゴール39アシスト)と記録を伸ばしていく。 2010-2011年のシーズンにはシーズン首位となる80ポイント(20ゴール60アシスト)を記録した。2011年のプレーオフでサラワートは決勝に進出し、西部コンファレンスを勝ち上がってきたアトラントを4勝1敗で下して優勝。KHLのキャリアで初のガガーリン・カップを獲得した。 2011-2012年にもシーズン首位となる63ポイント(25ゴール38アシスト)を記録。しかし、サラヴァトは2012年のプレーオフでは東部コンファレンスの第1ラウンドでアクバルス・カザンに2勝4敗で敗れた。敗退後、ラドゥーロフはNHL復帰の意思を表明した。
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