サッカーにおける開催歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/19 04:08 UTC 版)
「熊本市水前寺競技場」の記事における「サッカーにおける開催歴」の解説
1993年から1995年まで、横浜フリューゲルスの特別活動地域(本拠地に準ずる権限があった)のスタジアムとして使用された。 1994年、メインスタンド以外の芝生席を座席に変更したため、収容人員が20,000人から15,000人へ変更された。なお、1994年第1ステージはその改修工事実施中のため、横浜Fの主催試合を開催できなかった。1994年まではスコア表示をバックスタンド中央部分・聖火台のある付近に仮設の手書きパネル板を設置して行っていた。 この間に行われた主催7試合で、横浜Fは全敗する屈辱を味わい、水前寺を鬼門と称したファンもいる。 また1995年第1ステージ・横浜F対サンフレッチェ広島の試合では、本来紫色の第1ユニフォームを着用するべきだった広島が誤ってアウェー用の白地の第2ユニを持参し、応援団から第1ユニのレプリカを借り、背番号を白のガムテープで貼り付けて試合に臨んだというハプニングがあった(後にJリーグから制裁金を受ける)。 1996年にJリーグへ加盟したアビスパ福岡が当初数年間は準本拠地とした。 1998年4月25日、中山雅史(ジュビロ磐田)が、当競技場で開催された福岡戦で、3試合連続のハットトリック(当時の世界タイ記録)を決めた。 2001年から2002年まで、日本フットボールリーグに在籍していたNTT西日本熊本フットボールクラブ(2002年からアルエット熊本)がホームスタジアムとして使用した。 2002年に名古屋グランパスエイトのキャンプ地となった。 2006年までロアッソ熊本はホームゲームの多くを開催していた。 2007年以降、ロアッソはKKウィング(現:えがおS)でのホームゲーム開催が大半となったが、当競技場でも不定期にホームゲームを開催している。 2009年以降、ロアッソのホーム試合では通常とは逆にメインスタンドから見て右側がホーム側となっている。 益城ルネサンス熊本フットボールクラブがホームゲームを開催していた時期もあった。
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