コミック・ストリップの黎明期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 10:17 UTC 版)
「アメリカン・コミックスにおけるクリエイターの権利」の記事における「コミック・ストリップの黎明期」の解説
クリエイター・オウナーシップを巡る争いの歴史は、アメリカン・コミックスのパイオニアの一人であるリチャード・F・アウトコールト(英語版)にまで遡る。アウトコールトは1906年にコミック・ストリップ(新聞漫画)作品『バスター・ブラウン(英語版)』を『ニューヨーク・ヘラルド』紙から『ニューヨーク・アメリカン』紙へ移籍させた。アウトコールトは同作の著作権登録を行っていなかったが、「コモンローに基づく権利 (common-law title)」を主張した。コミック史家ドン・マークスタインによれば、これはクリエイターが作品の権利を要求した最初の例の一つである。裁判官は「バスター・ブラウン」の名称および既刊の作品はヘラルド紙が所有する一方、登場人物は無体物であって著作権や商標の対象にならないという判決を下した。これによりアウトコールトは、「バスター・ブラウン」の名を使わない限りアメリカン紙上で連載を継続することができた。 1909年に制定された著作権法は、職務著作物の権利は当事者間の合意がない限り雇用者に帰属すると定めた。『クレイジー・カット』のジョージ・ヘリマンや『ポパイ』のE・C・シーガーなど、初期のコミック・ストリップ作家の多くは自作の著作権を持っていなかった。
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