グランド・ジャンクション運河
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/31 17:14 UTC 版)
「ウィリアム・ジェソップ」の記事における「グランド・ジャンクション運河」の解説
オックスフォード運河 (Oxford Canal) はジェームス・ブリンドリー (James Brindley) によって建設され、南部イングランドの広い範囲に石炭を運んでいた。しかしこの運河では、ミッドランズ地方とロンドンを直接結ぶ経路となっていなかった。そのため、ラグビー (Rugby) 近郊のブラウンストン (Braunston) でオックスフォード運河から分かれ、ブレントフォードでテムズ川へ至る全長90マイルの新しい運河が提案された。ジェソップは1793年に運河会社から主任技術者として任命された。この運河は特に設計が難しいものであった。それは、他の運河ではできるだけ川筋に沿って建設し、どうしても必要な時だけ分水界を越えるように設計されていたが、この運河はウーズ川 (River Ouse) やニーン川 (River Nene) などを越えなければならなかったからである。ウーズ川の谷を横断するためにウルバートン (Wolverton) に水路橋が建設された。アーチが3つある石造の水路橋が建設されている間、一時的に9つの閘門が設置され、川筋まで船が下りまた反対側を上るために使用された。この水路橋は1808年に落橋し、ロングトン=オン=ターン (Longdon-on-Tern) にある水路橋やポントカサステの水路橋でトーマス・テルフォードが建設した水道橋に似た構造の鉄トラフの橋に1811年に架け替えられた。この橋はコスグローブ水路橋 (Cosgrove aqueduct) として知られ、ビーバン (Bevan) によって設計・建設された。 ブラウンストンとブリスワースの2箇所にトンネルも建設する必要があった。ブリスワーストンネルは大きな問題となり、運河の他の区間が完成した時点でも未完成であった。そのため、ジェソップはこのトンネルを放棄し、閘門を利用して丘を越えることにした。ジェソップは、一時的な解決として鉄道を敷いて、トンネルが完成するまで丘を越えて貨物を輸送した。グランド・ジャンクション運河 (Grand Junction Canal) はロンドンとミッドランドを結ぶ通商を促進する上でとても重要であった。
※この「グランド・ジャンクション運河」の解説は、「ウィリアム・ジェソップ」の解説の一部です。
「グランド・ジャンクション運河」を含む「ウィリアム・ジェソップ」の記事については、「ウィリアム・ジェソップ」の概要を参照ください。
- グランド・ジャンクション運河のページへのリンク