ク60形・サ60形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/11/26 05:51 UTC 版)
「九州鉄道20形電車」の記事における「ク60形・サ60形」の解説
これは200形と編成を組んでいたが、もともとは200形とは全く別物の形式で、外観も大きく異なる。 もとは1934年(昭和9年)に日本車輌で製造された博多湾鉄道汽船(のちにJR香椎線)の気動車(ガソリンカー)キハ1 - 4である。博多湾鉄道汽船が九州鉄道ほかと合併して西鉄が発足したのち、1944年(昭和19年)に大川線に移り、キハ101 - 104と改番したが、大川線の休止により1947年(昭和22年)より大牟田線へ転入し、電車化され制御車(ク60形)、付随車(サ60形)となった。改造、改番の経緯は次の通りである。 キハ101 → ク64 キハ102 → サ65 キハ103 → サ62 → ク62 キハ104 → サ63 → ク63 (番号が62から始まっているのはク50形が61まで存在したため)。 車体は戦前の気動車にしばしば見られた前面4枚窓で、側窓配置は1D10D1、ゆるい丸妻前面を持つ箱型であった。車体形状は違うものの車体寸法は200形とほぼ同じであったため、200形と同一系列扱いで使用され、連結面の貫通化も実施された。台車は100形から流用した弓形ボールドウィンに交換されていた。同型車に大分交通キハ100形、幅を若干狭め、前面2枚窓とした瀬戸電気鉄道キハ100形→名鉄ク2200形が存在した。
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