クルップ家入り
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/06/02 18:04 UTC 版)
「グスタフ・クルップ」の記事における「クルップ家入り」の解説
ハーグで働くドイツの外交官グスタフ・フォン・ボーレン・ウント・ハルバッハ(父もグスタフで同名)の息子として生まれる。彼もまた外交官となり、ワシントン・北京・バチカンで勤務した。 1906年10月にクルップ家の女子相続人ベルタ・クルップと結婚した。彼女の父でクルップを経営していたフリードリヒ・アルフレート・クルップは1902年、彼女が16歳の時に新聞に同性愛の醜聞を報じられて自殺した。この結果、クルップ社は妻マルガレーテと娘ベルタが共同で経営することとなった。フリードリヒ・アルフレート・クルップに男の子がいなかったことを心配したドイツ皇帝ヴィルヘルム2世は、優秀な外交官であるグスタフを彼女に紹介した。彼はグスタフ・クルップとなってクルップ家に入り、1909年、クルップ社取締役会議長になった。 第一次世界大戦開戦前夜、同社はドイツにおける重火器製造に関する事実上の独占権を持っていた。戦争初期には一時的に海外市場への販路を失ったが、その後のドイツ及び中央同盟国から武器需要の増加によって利益を得た。なお、当時の同社の代表的な製品のひとつに、ディッケ・ベルタ(英語では「ビッグバーサ」)と呼ばれた重榴弾砲があった。このベルタという呼称は、妻ベルタに由来するというのが通説となっている。
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