クリストファーマクドナルド_(実業家)とは? わかりやすく解説

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クリストファー・マクドナルド (実業家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/30 21:06 UTC 版)

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クリストファー・W・マクドナルド
名前
ラテン文字 Christopher W. MCDONALD
基本情報
生年月日 1931年12月13日
イングランド, ロンドン
没年月日 (2011-12-02) 2011年12月2日(79歳没)
日本, 東京都文京区
選手情報
ポジション GK
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
YC & AC
1955-1956 東京クラブ
TRICKクラブ
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

クリストファー・W・マクドナルド (英語: Christopher W McDonald1931年12月13日 - 2011年12月2日) は、イングランド・ロンドン出身の実業家、サッカー選手。

略歴

1950年4月に来日しNCR社の日本法人「ナショナル金銭登録機」に勤務。その後1980年からはロレックスの日本法人取締役となり、後に社長・会長も務めた。

訪日以前から趣味としていたサッカーでは横浜カントリー・アンド・アスレティック・クラブ (YC & AC) 、東京クラブ、TRICKクラブなどに所属してゴールキーパーを務め、全国都市対抗サッカー選手権大会への出場経験もある[1][2]

また、1958年アジア競技大会1964年東京オリンピックでは国際サッカー連盟 (FIFA) 役員へのリエゾン(連絡係)を務め、日英間のサッカー交流に貢献。また1960年代から70年代にかけてイングランドの強豪クラブの来日に尽力。またイングランドのアマチュア選手のオールスターとも言うべきミドルセックス・ワンダラーズA.F.C.英語版の来日にも関わり、さらに全国高等学校サッカー選手権大会では長年に渡り同クラブから寄贈された「ミドルセックス・ワンダラーズ杯」の優勝チームへのプレゼンターを務めた。

1992年より日本サッカー協会 (JFA) 顧問、1993年から2008年まで日本プロサッカーリーグ (Jリーグ) の裁定委員会委員も務めた。

1978年大英帝国勲章OBE、2009年旭日小綬章をそれぞれ授与された。

2011年8月9日、日本とイギリスのサッカー交流に貢献した功績を称え、JFAより第8回日本サッカー殿堂顕彰者に選出された[3][4]

2011年12月2日、東京都文京区間質性肺炎のため死去した[5]

脚注

  1. ^ C・マクドナルド「サッカー随想 懐かしのTRICKクラブ」『イレブン』1979年12月号、日本スポーツ出版社、135頁。
  2. ^ クリストファー W・マクドナルド”. 日本サッカーアーカイブ. 2013年7月13日閲覧。
  3. ^ 第8回日本サッカー殿堂 掲額者日本サッカー協会 トピックス 2011年8月9日告示
  4. ^ 日本サッカー殿堂掲額者プロフィール (PDF) 日本サッカー協会 トピックス資料 2011年8月9日告示
  5. ^ 日英サッカーの“架け橋”C・マクドナルド氏死去”. スポーツニッポン (2011年12月5日). 2014年9月6日閲覧。



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