クックの教え子たち
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/14 02:27 UTC 版)
「ジェームズ・クック」の記事における「クックの教え子たち」の解説
その後、クックの下で働いた多くの部下達が、自身も目覚ましい業績を残した。代表的な人物を以下に挙げる。 ウィリアム・ブライ - 第3回航海の航海長であった彼は、1787年に帆船バウンティの指揮を委ねられ、タヒチへ赴きパンノキの実を持ち帰ることを任ぜられた。しかしながら、1789年に乗組員の反乱が起こり、船から追放されて救命艇で漂流する憂き目にあった(バウンティ号の反乱)。生還を果たし、その後ニューサウスウェールズの総督となる。そしてここでも、海兵隊に反乱を起こされ、数年間監禁されている。 ジョージ・バンクーバー - 第2回と第3回航海の士官候補生。後に1791年から1794年にかけて北アメリカ太平洋岸の調査航海を指揮した。この調査の結果として、北アメリカ大陸西岸と大西洋をつなぐと想定されていたアニアン海峡は、過去の伝説となった。 ジョージ・ディクソン(英語版) - 第3回航海に参加。後に自ら北米大陸の西岸を探検航海を指揮し、クイーンシャーロット諸島などを命名した。 ゲオルク・フォルスター - 第2回航海に参加してその記録を『世界周航記』として著している。
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