キーロフ暗殺事件 (1934)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 15:21 UTC 版)
「大粛清」の記事における「キーロフ暗殺事件 (1934)」の解説
ウラジーミル・レーニンの死後、党内における政争に勝利し権力を掌握したスターリンであったが、党の中には古参党員を中心にスターリンの台頭に危機を覚える者が多数存在した。そのような中、1934年12月にスターリンの後継者とみなされていた共産党幹部セルゲイ・キーロフが、レニングラード共産党支部においてレオニード・ニコラエフという青年に暗殺されるという事件が起こる。 指導部は、事件当日にテロリズムの審理は十日以内に終わらせ、控訴恩赦は認めず、死刑の迅速な執行を命じた。 スターリンは、事件の背後にジノヴィエフらがいるとみて、ジノヴィエフ派の13人が逮捕され、処刑された。 この事件については、当時キーロフの存在に脅威を感じるようになっていたスターリンが部下のゲンリフ・ヤゴーダに命じ暗殺させたという説もある。しかし、キーロフ暗殺はスターリンによって仕組まれた陰謀であったとする直接的証拠は(1997年時点で)発見されていない。 また、警部隊長ボリソフが、チェキストと同乗した車内で不審死しており、医学鑑定では交通事故死とされたが、事件との関連は不明のままである。
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