キリスト教以前の伝承・レディクルム信仰との関連
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「ドミネ・クォ・ヴァディス教会」の記事における「キリスト教以前の伝承・レディクルム信仰との関連」の解説
この聖地はもっと古いものであり、なんらかのすでにあった寺院の「キリスト教版」だともされている。この教会は実際、「再来の神レディクルムにささげられた聖なる野」(レディクルムの名は、ラテン語の動詞「redeo(戻る)」に由来している)のまさに正面に位置している。この野には、この神の儀式のための聖域があり、出発前の旅行者、特にエジプトやギリシャ、東方など、長く危険な旅に向かう者から布施を受け取っていた。また旅行者たちが戻ったときには、この神に旅の幸運な結末を感謝することになっていた。 レディクルムの野にある聖域の地位は揺るぎないものであった。なによりもまず古代のアッピア街道はローマ街道中でも、最も重要であったし、第二にはこの場所のゆえに、旅行者にとってはローマ市の城壁を最後に眺める場所になったことであろう。この聖地には、ティベリウスの治世に大々的な葬儀で埋葬された、人語を解する有名なカラスの墓もあった。さらにレディクルム神には恐ろしい評判があった。伝説によれば、ハンニバルが第2次ポエニ戦役でカンナエの戦いでローマ軍を破ったあと、この街道を辿ってローマを指呼の間に臨んだとき、レディクルム神が現れ、軍を引くことをハンニバルに恐ろしい方法で促したとされる。これらの伝説から、ローマ人たちがレディクルム神を深く信仰していたことがわかる。この聖域が何処にあったかは、現在でも正確にはわかっていない。しかしながら、17世紀の著述家が広めた誤りにより、レディクルムの寺院はカッファレッラ公園内側の方にある墓地、それはまたアンニア・レジッラのものとされるが、そこにあったと非常に広く考えられている。
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